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盆栽歴50年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

タグ:木村正彦


【木村正彦師ら、盆栽作家100名参加】

月例となっている羽生雨竹亭の盆栽オークション「天地会」の年の納めの会が先日開催されました。
準備した出品用の棚に置き切らない程の盆栽達!
それでも競り人である私と盆栽組合の主競り人大久保さんで、朝から気合を入れた競り声で"飛ばし"ました。
夕闇迫る頃、終了の手拍子、総出来高7676万は 
盆栽界の中心地上野グリーンクラブでの「水曜会」を大きく上回るものでした。
決して名木が出るわけでもなく、手頃な盆栽が数多く
しかし不落札が少なく約8割が成立するという、近年の成立率としては群を抜くものでした。

木村正彦師・蔓青園 を筆頭に東日本盆栽界の主要メンバーが揃って参加して下さったのも大きかったです。
とりわけ、中国からの参加者(プロ盆栽園主・バイヤー)の 熱気凄く、
私も買いたい盆栽の半数が入手出来ませんでした。
これからも中国勢の来訪買い付けは、冬の間続くでしょう。
日本盆栽界としても「売りたい業者・国外行きは困る?」というジレンマの中で、
市場の動向を見守る事になります。
近い将来、国風展上級クラスの盆栽の海外流出に対する規制が必要になる時が来るでしょう。
但し、民間の「自主規制」というものは、"食べなければならない"プロと
良識的コンプライアンスを唱えるプロの見解の相違を埋める事は出来ません。
名盆栽が、もっと「国の宝」としての真の評価(安すぎるのです)を得て、
行政が保護するまでには、まだまだ時間が掛かります。


【圧巻の逸材は "神の手"木村正彦先生へ!】

先月来 木村正彦先生と 共同で入手した 北海道からの山採り素材群。
最後に
"これが完成したら、木村作品の頂点・真柏 登龍の舞 を越える名品になる"
と確実視される一位が、到着しました!
うねり上がる幹は、どのように生きてきたらこんな姿になるものか、想像を越えるものです!
木村先生は「無駄な舎利やジンを取り除いて、この樹の本質を呼び出すことがまず大切」と仰います。
この樹の為に北海道一群輸送があったと言っても過言ではありません。
ここからの追跡取材は1~2年かけて『月刊近代盆栽』が、独占で行います。
名匠の技の限りを尽くした傑作の完成が楽しみです!


【木村正彦先生と共同取得!】

北海道 帯広地方から 蝦夷松・一位・真柏 など、
百数十点の盆栽群が羽生に届きました。
1ヶ月前、木村正彦先生からお話を頂き、
一緒に買い付け交渉をする事になったものです。
おひとりの愛好家が、
半世紀近い歳月をかけて育んだ「山採り」素材がすべての一群。
10 t ウィングトラック3台には、明日にでも国風展に出品出来る完成度の高いものから、
時間をかけてでも、将来の盆栽界に伝承させたい素材まで、幅広いコレクションでした。
特に 2mを超える 原生そのままの姿を維持する蝦夷松は、
他に類例を見ることのない感動を得るものでした。
既に盆中で、50年の刻を過ごした老樹は、どんな舞台に飾る事が相応しいか、
夢を唆る作品です。
北の大地で深山から人の世界に降ろされた「自然界の命」、
懸命に守り伝えた旧蔵家の心を、多くの盆栽家に橋渡しをするのが、
私どもの役目のひとつです。


【未来に遺す「木村芸術」の 保存と伝承の為に】

70代半ばを過ぎても、その創作意欲に衰えを見せない木村正彦師。

世界の盆栽家・愛好家の誰もが、師の作品を手にしたいと願っています。
木村師の作品には2種類があります。
ひとつは "無から生み出す自然芸術" と言える「創作的盆栽」
もうひとつは 現存する盆栽の素材や、過去に多くの盆栽家と共に生きてきた樹を、
師の感性と超絶技術で、新たな作品に"生まれ変わらせた"盆栽。

[創作盆栽の意義]

中国名勝「武陵源」の 石柱山水の絶景大自然を脳裏の規範として誕生した、木村芸術のシンボル的「石付盆栽」。
樹齢千年を超える古樹を、まるで魔法の様に 名樹の姿へと蘇らせる盆栽家としての頂点にありながら、
独創的な彫技で創出した石に、真柏や檜の素材を使って、
心の中にある"あの時感動したあの大自然"を作り出す事に情熱を傾ける姿は、
三十数年前に始めた当時は"木村も安い素材でごまかしている"と揶揄された事もありました。
しかし、それは木村師しか辿り着かない境地なのだとも言えます。
国家より初の表彰を受けた時、そこに記されている立場は「園芸装飾士」という評価でした。
"自分は盆栽家だ・園芸しかも装飾ではない"という心の中の葛藤があったそうです。
「そこに存在する樹齢を重ねた樹は、元来の生きてきた姿の基本があり、
それを個人の感性と技術で、芸術的な作品に創出する」
という事が、国家の見識者達の意見、
つまり、ゼロから創作したものこそが、真の芸術家としての姿 とする見解は、
ある意味で木村師のその後の活動を、ふたつの姿に導く事になったのです。
つまり、自分で山々を歩き、"この石なら"と言うものに巡り合い、
石の素材を自身の心象風景に合わせて彫刻し、そこに 盆栽を付け、完成した姿は、
まさに「武陵源」を代表とする盆栽の原風景。
「これこそは私の創出した作品だ」
木村師は、この想いを持って今も創作に励んでいるそうです。
盆栽家として"無から有を生み出す"芸術家として。

[製姿・改作 作品 の 意義]

完全なる創作とは 別に 古来よりの 佳き素材を木村師の眼で 再度見極め、
技の限りを尽くして、樹が持つ最大限の盆栽としての姿と価値観へ変貌させる。
これも盆栽家として、大切な世界だと木村師は言われます。
樹の命と成長は、どんな老木でも 生きている限り進んでゆく。
完成度の高い名木でも、数年前と同じサイズ、同じ枝先までの姿とはいかない。
時には一時的な観賞の頂点を過ぎ、「昔は素晴らしかったのに」と言われる樹も少なくありません。
そんな盆栽を、「今」と言う時に合わせて、その時の最良の姿へと製姿・改作へと 挑むのも、
盆栽家のあるべき姿だと師は問います。


[作品証明書の意義]
盆栽は、盆栽大師と言われる人物が手掛けても、
その後 何も手入れや管理をしなければ、作品としての面影もない程、その樹相を変えてしまいます。
木村師と言えどもこれは変わりません。
芸術作品として、"誰が創出・製姿・改作したものか"を 記録として残し、
作品の美術的・市場的価値を伝承する目的で、
この度  (株)エスキューブ 雨竹亭 会長 森前 誠二 と 木村正彦師 で協議し、
木村師の創作および製姿した盆栽に「作品証明書」を残す 契約を締結しました。
世界の盆栽家達が、木村正彦を憧れ、師の作風に倣って盆栽を発表する現在、
師が本当に手掛けた盆栽を正統に記録し未来に伝承する事が、急務と判断した結果です。
作品は「私が創作した盆栽」「私が製姿した盆栽」を 
作品ごとにシリアルナンバーを付けて保存する事になりました。
勿論、過去に創られた作品に要請があれば、作品を確認して
「木村師が手掛けた作風が、正統に伝承されている」ものには、証明書を発行します。
木村師の意向で「この証明書は森前氏に確認発行の全てを任せる」となり、
掲載の2作品が、創作・製姿 の各 初の証明書付きの作品となりました。
「盆栽は、自然と樹と人が織りなす美であり芸術である」と古人は言葉を残しました。
今後、世界の盆栽市場は更なる発展への段階に入るでしょう。
今後 この証明書的なものが、愛好家・コレクター層を増加させる一因となると思います。
木村師は、次代の若き盆景家達の道標でありたいと願っています。

【150年の五葉松根連り】

朝夕の秋風が身心ともにありがたい季節になりました。
ニューヨーク・ワシントンの講演旅行に 出かける前に、
雨竹亭の応接床の間に、先日 木村正彦先生に整姿針金施術をお願いした、
樹齢150年を超える五葉松の根連りを飾ってみました。

叢雲を抱く澄み切った秋夜の空に煌々と明けき姿を見せる名月。

遠くを仰げば、峻険な山々が刻の流れを嘲笑うように、凛然と山容を見せています。

五葉松の各幹は、それぞれに揺れ立ちながら、ひとつの大きな景色を描き、
まさに"松風を聴く"と言う言葉を一席に現出出来たかと思います。

名僧の残された詩を思い出します
「月落ちて 露光冷やかなり 松根 羅屋を照らす」
本格的な盆栽飾りを楽しむ頃となりました!

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