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盆栽歴50年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

カテゴリ: 日常


“水石界の発展の為“と思って書き始めた「名石探訪」は、

各地に眠る未公開の水石名品を誌上でご紹介する企画として、100回を迎えるまで続けました。

これだけ書けば少しは水石界の役に立ったものと思ったら、出版社側より、

“こういった記事は森前さんしか書けないので、何か形を変えて続けてほしい“と、即座に言われて、

思案の末に

“ここからはその時書きたい事を自由に書かせて頂く“として「水石よもやま話」は始まりました。

今回で19回💧

毎回“何を書こうか“と浅学の身をつくづく感じながら、その時その時に思い付く内容を認めてきました。

時にはニュース性、時には展覧会内容、そして今回のような“自分が今本当に思っている事など、

水石界を取り巻く様々な事を気ままに書いています。

今回は久しぶりに、“ちょっと重く“ 水石の飾りの事などを書いてみました。


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季節を捉えた“当たり前の飾り“には大切な基本がありますが、

そこに届く心の有り様、更には石を深く見つめてこそ観えるその石しか醸し出せない“何か“を捉える自分。


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伝えたい事多く、堂々巡りになってしまいそうな解釈の難しさなど、

飾る事なく有りのままで読者の方々に綴っているつもりです。


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盆栽も水石も突き詰めて行けば、最後に引き算をし尽くした端的なものへと導かれると言う原理、

それでもそこに届くには多くの“まわり道“をした末でないと見えてこない道がある事。

どこまで行っても尽きぬ道ですが、“その先にあるもの“があるなら只々歩いてみたいと思っています。


50年以上この道にいると、様々な思いが巡ってきます。

若い頃“盆栽とはどんなものが一番なのか“とか、“どうやったらその盆栽が作れるのか“など、

でこぼこ道の盆栽人生の中で、道に迷うことしばしばといったところでした。

今もそれは同じですが、最近思う事があります。

近年の盆栽界は、どちらかと言えば、“綺麗“な盆栽が主流になっているようです。

管理も手入れの技術も私が修行に入った頃とは雲泥の差と言える進歩!

見事な手入れを施した樹が展覧会に多く出品されています。

勿論世界に広がった盆栽、それでも海外の方々が日本の盆栽を高く評価して下さるのは、

この管理と手入れの技術的高さによるところが大きいと思います。

でもふと振り返る事も多くあります。

50年前、まだ小僧だった私は、諸先輩に国風展などの最高レベルの展覧の目に見えない“大切なもの“を教えてもらったように記憶しています。


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※出典:昭和14年刊『盆栽大観・天の巻』


まず、最高の舞台へと盆栽を仕上げるには、「極力針金施術はない方が良い」という事です。

盆栽は長い年月をかけて“持ち込んだ樹が良い“、

また、「展覧会の為に急ごしらえで名鉢に入れるのは真の愛好家ではない」とも言われました。

現在では当然の姿となっている、真柏などの枝接ぎによる糸魚川真柏の葉性の良いものへの“衣替え“も、

“枝接ぎものは良くない“と言う風潮もありました。


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※出典:昭和14年刊『盆栽大観・天の巻』


また、今は「大阪松」とも呼ばれる宮島性の五葉松なども、“黒松に台接ぎしたもので、真の五葉松盆栽には一段下がる“と言った考えもありました。

こんな事を挙げると、現代の盆栽の価値観と半世紀前では、まさに“様変わり“といった感すらあります。

技術的な進歩がその裏付けになっている事も確かですが、盆栽に求められる“美に対する価値観“が変化したのかなとも思います。

小品盆栽が、手のひらに載る“ひと枝の古感“から、大型盆栽の樹相を求めるようになったように、

一般の盆栽サイズのものも、海外との交流が多繁になる今、誰にでも分かりやすいものへと変化したように思います。

多様化する盆栽の姿、どれが良いとか、何が正しいという定義はないと思いますが、

先人達が伝えてきた“審美“の盆栽観と言うものは時代が変わっても大切にしていきたいものです。


暑気強い8月の末、水石展で連日上野グリーン倶楽部に通う中、同所にある常設売店で、

いつもと変わらぬタオルを頭に巻き、前掛け姿で盆栽の水掛けをしている岡村さん。


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百貨店の営業畑を長く歩まれた傍ら、大好きだった盆栽(主に小品)をコツコツと専業にされて、

今では日本盆栽協同組合本部の理事、そして私達水石協会の理事等も務められる苦労人。

役員として背広を着ているよりも、“常設売店の方々の為“と、

外気に触れるだけでも辛い時を、訪れる盆栽初心者の来訪者に気軽に声をかけて動き回る岡村さん。

この手頃な売店からどれだけの上級趣味家を作られたでしょうか❗️

頭が下がります💦


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海外(主に欧米)の方々からの依頼やオーダーも日々即々と対応され、

数百万の取引をしたかと思えば、また数千円のポット盆栽を親しみを込めて説明される。

どれだけの人生を歩めば、このような人になれるのだろう。と少し離れて見守るばかりでした。

尊敬❗️


この頃、10年を超えて続けているこのブログや、YouTubeで多くの皆さんに発信している「WABI CHANNEL」などの影響からか、

最近色々な所から、私のような盆栽と水石の事以外は、“社会の劣等生“と言える者に、講演の依頼が来ます。


拙い私ですが、お受けしたからには、非力浅学の身でも、精一杯の事をお伝えしたいといつも願っています。

盆栽の歴史や、樹齢数百年の名木などをお見せしてお話しすれば、皆さん喜んで下さいます。


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しかし、66歳、盆栽の世界に入って51年になると、ふと振り返ることがあります。

私が、盆栽を「天職」と思えるようになったのは、そのようなことだっただろうか?と思う事です。

長い時の中で、挫けそうになったり、命の灯火すら消えかかるほど“心の病“の時、

私をもう一度歩き始めるまでにしてくれたのは、決して名樹のような盆栽達ではなかったように思います。


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誰にも振り返ってもらえないような、小さく見すぼらしく、中には半身が枯れてなお、懸命に“生きよう“として

残された枝や芽を必死に陽の光に向かって伸ばしている“健気な樹達“だったように思います。


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勿論広義としては盆栽の古木や名樹からの感動は大切です。

でも、“見捨ててはいけない命“に対しての見方も盆栽から感受出来る、誰にでも伝えられる“心の有り様“とも思うのです。

“どうしたらその両面を伝えられるだろう?“

最近はそんな事を考えることが多くなりました。やっぱり年ですかね💦


どれくらいぶりか?

忘れているくらい訪れていなかった、日光の山々を散策しました。

若い頃(十代から二十代前半)は、月に一度の休みの殆どを、ふるさと日光の自然の中にいました。

鳥の声・山々の姿・渓流の清々しさ!


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毎年“行きたい“と思いながら、毎年💦行けずにいた世界。

思い切ってひとりで山へ入りました。

65歳になる今、足腰にはこたえましたが💦そこに見えた景色は、

いつの間にか忘れかけていた、自分の心の中にある原風景でした。

“熊野古道“を想わせるような山間の石畳の道、いつ人が歩いたのか?わからない“道なき道“。

渓流の両側に広がる雑木林と杉の木立達は、

まるで、盆栽がこんな風に出来ればと想わせる景色でした。


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名匠木村正彦先生が、中国黄山へ共に旅した時の山々に生きる松達を観て語られた言葉を思い出しました。

「森前君、あの姿を見てご覧。手入れなんか要らない姿だよ。いや誰かが手入れしているんだよ。私もあんな風に樹を作りたいよ」

“自然を観ろ、ありのままの樹に教われ“ 若い頃良く言われた言葉が重なる1日でした。

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