雨竹 盆栽 水石 便り

盆栽歴50年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

2023年11月



【圧倒的な最高レベルの盆栽たち‼️】

大観展搬入~選考審査23日終了!
24日より開幕となり27日、無事閉幕しました。
内閣総理大臣賞の真柏名樹、もみじ「右近」の京都市長賞、
その他、数々の部門受賞の樹々など、日本の盆栽界の“今“をそのまま写し出した世界が、京都に集結しました❗️

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本当の意味のコロナ明けの大観展❗️
予想通り、海外の方々の来場が目立った4日間となりました。

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京都国際文化振興財団の企画展示も、正面の「上杉謙信の一位」・「伏見宮家旧蔵の宮様楓」・「徳川慶喜旧蔵の加茂川石」という
歴々の名品!の他、陶芸界の巨匠達が残した貴重な盆器の、物故作と現存作家の作、の両面展示と言う、財団らしいものでした。

国風展時の上野グリーン倶楽部の「立春盆栽大市」に匹敵する、館内併設の巨大売店ブース!
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今年は、水石組合による特設販売ブースが設けられ、
約300点に及ぶ、水石・水盤・卓・盆器を一堂に陳列販売するコーナーとなりました。

海外バイヤーの交渉が目立つ中、やはりこういうイベント会場は、来場される初級から大家まで、
幅広い愛好家に向けたアピールをしたいものと、日常の商売の在り方の“基本“を噛みしめる機会にもなるように思います。

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出品下さった愛好家の皆様、展覧を楽しまれる一般の愛好家の方々、
初めて“本物“の盆栽の醍醐味をご覧になった人達、そしてこの展覧に関わる業界人のすべて。
其々の“想い“ 其々の“目的“ は、一様ではありませんが、この展覧が、何かの役に立つものであって欲しいと、心から願うばかりです。
事故なく閉幕まで進んだこと、とにかく感謝です🙏


【訪れて下さる方々への庭園整備💦】


このブログが公開されている時には、もう京都で大観展の会場で右往左往している事だと思います。

毎年の行事なのに、大観展前になると、どうしてこんなに忙しないのだろう自問自答します。

4日間のイベントの為にかかる準備、全部で10日間以上、毎日3~4名が、この準備に費やされます😥

正直言って、この時間を使って、普段のような仕事をしていたらどれ程の手入れや作業が出来るだろう“  とも思いたくなります(笑)


出品される愛好家の皆さんとのご相談、お預かり、手入れ、卓や掛軸、そして添え物の取り合せ、

またお世話になっている京都国際文化振興財団(通称・慶雲庵)の、

企画展示の創案から出品物の選出、そして雨竹亭の10mを超える特設売店の商品準備に手入れ💦

もう40年以上、小僧の頃から続いている催事です。


今年は水石組合(水石を業とする団体・今年、新たな組織運営となりました)の特別ブース(展示販売会)が設けられ、

300点超の水石・水盤・卓などが、一同に展示される企画が会場であります。

この総括責任者の役目となり、仲間の業界人との連絡や設営の準備など、目が回る大観展になりました😅

65歳を目前にするこの頃は、心の何処かで、静かな盆栽人としての毎日を渇望しているのでしょうかね❗️


会場へ運び込まれる雨竹亭のメイン商品達、庭内の美しい樹達が、出稼ぎに出動する中、

それでも大観展に合わせて、海外の団体が羽生までいらっしゃいます。

残された樹々で、もう一度庭内を飾り込む💦

これも大切な仕事です。

普通の商売の盆栽園なら、訪れるお客様に楽しんでもらう為という、作業時間はあまりないでしょう。

私達の庭は規模も大きく、飾り替えとなれば、数人で丸1日かかります。

時々思います。なぜこんなに苦労してでも、この形を取るのだろうと。

生活のためだけなら、要らない事かもしれません。

お得意様・業界・売れる商売、これで足りるのかもしれません。

しかし、私には無理でしょう(笑)


この頃特に思うのですが、私は何故?何がしたくて、年を重ねてこうしているのだろうとふと思います。

きっと私は、自分が何者なのか?“  “自分は何が出来るのだろう

頭の中で考えることはいつも盆栽と水石を通して伝えたい何かなのです。


多くのお客様にも恵まれました。

挫けそうな時に、どれ程の人達に助けられてここに居るでしょう。

そんな七転八倒の人生ですが、どんな時でも、

こんなことしたらいいだろうなあ

こう言うことをすべきじゃないだろうか“  

そんなことばかりです💦


私は盆栽作家なんて高尚な者ではありません。

自分で手掛けた盆栽を買ってほしくて右往左往と世の中を泳ぐようなら、真の作家とは言えないし、

自分には出来ません。

私は"盆栽商"です

絵で言えば画商です。

勿論、11年の住込修行を経ていますから、相応の腕には自信はあります。

でも私の矜持が、「ハサミと算盤は相持つものではない」です。

だからこそ、スタッフには作風展への挑戦の道も後押ししますが、私は生涯、

盆栽作家としての評価を得たいとは思わないのです。

盆栽や水石に対する目筋については、それは、自負こそあれ、

最終的には周りの方々が、判断されることだと思います。


初めて、画像のないブログを書きました。

2015年以来です!


ここからも毎日迷いながら“ それでも盆栽や水石、そして周りのすべての人達に助けられて歩んで行くと思います。

心だけは、「禅僧になりたかった15の小僧」のままで❗️


先日、ある真柏が私の元へ帰って来ました。


独特の姿、盆栽であると同時に、何処か現代的な

モダンアートの雰囲気を持つこの樹は、

17年前(2006)には、銀座松屋で開催された、

『神々の造形・かみがみのかたち、盆栽その古典とモダン』展でも

多くの観賞される皆さんに、ある意味新しい盆栽提案するシンボルとなった思い出の樹です。


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この樹の作者は、熊谷宗一君。

名門「蔓青園」で修行の後、転がり込むように羽生の庭で

共に盆栽作りをした弟子のような存在の若者でした。

何処か野放図で、いつもニコニコしながら過ごした彼。

組織の中には居られないタイプだったと思います!

お客様に喜んで頂く盆栽を守り作るのが、私達プロの仕事。

自由人の彼には、もっと別のやりたい盆栽・創りたい盆栽

心の中にあったようです。


ある日、ひとつだけ、自分の好きに作ってもいいですかと、

私に尋ねてきました。

私は、色々な事に挑戦するのは嫌いではなかったので、

生きているもの、樹にダメージを与える事はダメという

条件を与えて、彼の好きにさせました。

勿論、出来上がる過程も、選んだ素材も一切見ぬようにして、

心の中で、やり過ぎたら諌めようと思っていました。

1週間後、彼はこの真柏を創り上げました。


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衝撃的でした。

陶芸作品のような短冊の変わり足の鉢、

目立たなかった、ありふれた真柏に、枯れてしまってあった

舎利を造形的に組み合わせて、ひとつの樹に見立てていました。

盆栽界では、そのように付け舎利で樹をみせるものを

タヌキと言って嘲笑し、その市場価値も当時は殆ど認められません。

それでも、そこに出来上がった彼の作品は、まさに熊谷宗一と言う

盆栽が好きで好きでしょうがない、言う事を聞かない若者が、

自分の感性の求めるままに、その手で生み出したBonsaiでした。

プロ同士の市場価値と言う価値観が、どうしても頭にある私達。

この樹は、彼は、作品と言う目の前にある真実で、見方を変えれば

広がるアートとしての盆栽の在り方を教えてくれたように思います。


3・11東日本大震災が、彼の人生を奪いました。

自分で好きな盆栽を創りたい“  その希望で彼が北茨城の地に

住まいも手作りの作場(培養場)に移って間もない頃でした。

元々、若い頃にも、軽い脳梗塞を患っていた彼。

天真爛漫に見える外見とは裏腹に、創り上げる盆栽と同じく、

繊細で脆い心なのは知っていました。

看護師として、被災の方々の為に日夜を問わずに働く彼の奥さん。

震災から彼は体調を崩して、強い余震と元々掘立小屋のような住まいの

危うさもあって、奥さんが夜勤の時など、庭の車の中で寝泊まりしていたのです。

羽生も世の中も、ガソリンを買うにも朝5時から並んでいたある日、

奥さんから宗一が亡くなりましたの電話。

なぜ?どうして?”    震災による精神的ダメージが車中泊の彼に

自身が持っていた持病で、突発的な脳梗塞を呼んでしまったのです。

奥さんが、帰宅後車の中の彼を見つけた時は、

彼はもう冷たくなっていました。


以来、盆栽作家、熊谷宗一君の作品『真柏』は、

いつも羽生の庭で私達を日々見守っていました。

この樹はいくらですか“ 何十回、訪れる方々に声をかけて頂いたでしょうか! 

その度にこの樹は弟子の形見なので売り物ではありません

これが決まり文句でした。

それがある日、盆栽界でも屈指と言われる程になっていた、

羽生のプロオークション「天地会」に、福井県の方が

お得意様と見学しても良いですかと遠路来られました。

オークション後、その方が、お客様がどうしてもこの樹が

欲しいと言うので、お願い出来ませんかと懇願されました。

いつものようなお返事を繰り返しましたが、何度言っても

食い下がられてきます!

見ればもう80歳近い方、その時ふと思いました。

熊谷君の奥さんも、三回忌の後、再婚されて故郷の京都に戻った事を。

どうしてもと仰るなら私の言い値で良ければ譲ります、但し、

これは、会社のものではありません。私のものです。

弟子の形見、愛好家である貴方様が楽しまれた後手放す時は、

私に返して下さい。それが約束いただけるなら結構です

そばにちゃんとした盆栽界のプロが付いてきている中の出来事。

心の中で、半分のお金を京都に届けてあげよう!

半分は会社にあげればいいそう思っての事でした。


結局このお話を受けて形見は福井県に行きました。

その年の京都『日本盆栽大観展』で、熊谷君の奥さんと待ち合わせて、半金を渡しました。

会長の樹、私が貰えるものではありませんと彼女は

頑なに拒みましたが、クマの位牌に供えてくれればいいから

無理やり手渡しました。


以来10年の月日が流れた今年10月、何とこの樹が、羽生天地会に、三重県の友人のプロが出品で持ち込みました!  

!!!どうして?“  目を疑いました。

聞けば件のご老体が事情で手放されるにあたって、却ってこちらに気を遣って、

出入り方に放出してしまったそうです。 

悪意は無いにしても、

ひとこと連絡してくれれば良いのに!と思いましたが、見れば、

クマが上手に合わせた鉢は、雪国の低温で数年で傷んでしまって、行山先生の鉢に植え替えられていました。

行山だから前より高いよと友人は

事もなげに言いましたが、

あいつが合わせたあの鉢が大切なんだよ!

心の中で言うに留めました。


こうして10年ぶりに姿を変えて故郷羽生に戻った、クマの真柏。

同じ鉢は無いにしても、彼が描いた姿へ少しでも戻そうと、手入れ、

鉢合わせ、植え替えを施しました。

お帰りなさい、もう二度とそばから離れるなよ“ そんな言葉をかけました。


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今この樹は、私の第二の故郷となった、

京都大徳寺芳春院盆栽庭園に飾ってあります。


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羽生はお客様が、盆栽を求めていらっしゃる盆栽園。

また、幾度もこれは売り物ではありませんを言い続ける日々!

芳春院は販売庭園ではありません。

禅庭と盆栽が融合した、日本唯一の庭園、

この樹はここが一番相応しい!クマも喜ぶ!

私もこの芳春院盆栽庭園にいる時は、日々の糧に駆け回る自分ではなく、

15歳で盆栽に憧れてこの道に入った少年のような気持ちが甦ります❗️

さあ!ここから次の世界を一緒に過ごそう!クマ‼️

芳春院盆栽庭園・大展示替え❗️大観展に向けて‼️】

今月下旬に開催される『日本盆栽大観展・於京都みやこメッセ』に合わせて
大徳寺芳春院盆栽庭園も、“晩秋~初冬の秋色展示“に羽生雨竹亭からトラック輸送で、大幅な展示替えをしました❗️
山柿・椿・もみじなど、季節を彩る盆栽、そして大観展に「京都国際文化振興財団」が特別展示する一位の巨木、
戦国大名上杉謙信のゆかりを持つ『謙信峠』を出品前の最終手入れをする為に、名匠鈴木伸二さんの所に移動している今、
庭園の“顔“として、同じ一位の名樹(これも同財団の所蔵樹)『白昇龍』を羽生から運び込みました❗️

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圧倒的な庭園の巨木名樹に加えて、庭内の“通玄庵“の床の間や、展示棟には、誰もが自分でも楽しめる親しみのある盆栽達も設えました❗️
真柏の文人樹の風韻、筆柿の晩秋の風情、盆栽の素晴らしさを少しでも伝えたいと願っての取り合せです。

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開園してもうすぐ3年、海外を含めて多くの方々がご覧頂くこの庭園、
秋の紅葉観光で賑わう京都で、日本盆栽大観展に訪れる皆さんも、“この機会に“と昨年も多くの盆栽愛好家が来園下さいました。
50本を超える選抜された盆栽達、どれもが庭園の構成美に大切な配置!

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ひとつの庭園の“姿“は、2週間程で数本が季節の役目を果たして入れ替わります。
今月いっぱいの芳春院盆栽庭園の“満喫の秋“。是非皆さんもご覧にいらして下さい。


間もなく京都で開催される『第43回日本盆栽大観展』への出品の為、愛好家秘蔵のケヤキの大樹が、羽生に運ばれました❗️

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展示を前に卓を合わせる為に、応接展示室に持ち込みましたが、私も半世紀盆栽に携わって来ましたが、
これだけの丸幹太幹の大型ケヤキは、今までに扱った事がない樹です。

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美しい黄葉を見せる樹。
大観展では寒樹の葉落ちの姿での展示になります。

僅か1週間の黄葉の勇姿❗️
床飾りを構えてみました!

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時雨の中、寄り添い飛び交う雀の画、遠くには、“京都“を想う三重塔。
根元の幅45cm❗️を超える大樹❗️
それでも、単に“太い“と言うだけではなく、条件を整えた樹姿の名樹。
やっぱりごまかしのない大樹は良いですね‼️

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