雨竹 盆栽 水石 便り

盆栽歴50年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

2023年08月


先日、私がナビゲーターを務めるYouTubeチャンネル「WABI CHANNEL」の撮影で、久しぶりに銀座雨竹庵に半日居ました。
25年前、徒手空拳で遮二無二開いた店、怖いもの無しで、経営学ゼロの私が“銀座森前“として店先に立って長い時が経ちました。


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17年前、盆栽と水石しか分からずに走った私の不徳で、多くの方々にご迷惑をお掛けして、
無くなってもおかしくない嵐を、こんな私を“もう一度ガンバレ!“と応援してくださる方々のお陰で、今の雨竹庵として仲間が守ってきてくれました。

店に行くと、当時の佳き思い出、懺悔の思い出、様々な出来事が、走馬灯のように蘇り、
数年前までは、長くても30分くらいしか居る気持ちになれなかった店。


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店先を飾る品々は、海外の方々への手軽なものに変わっていますが、
雨の日も風の日も、必死にこの店を守り続けてきた、現エスキューブ社長の堀越氏のコツコツとした日々が、滲み出ている店となりました。

内装は1階も2階も当時と変わっていません。

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いつの間にか、“新参者“だったこの店も、銀座名店の団体「銀座百点会」でも、
中堅の古さの店となりました(老舗も多く、吹けば飛ぶような私達が比較できる会ではありません💦)

来店の7割を占める海外のお客様達の声の多くが、店先の30~100万の盆栽を見て感動して“持ち帰りたい!“と、毎日仰います。
植物検疫法や手続きの難しさ、現地での管理の不適合など、堀越氏が時間をかけて説明して、残念そうに店を出る日々です💧

もし、盆栽が自由に外国に持って行けるなら、店の売上は年間数億となるでしょう⁉️
それでも、ひとつ1,000円の鉢、道具・書籍、日本でボンサイショップに行った“思い出“だけでも持って帰って頂いています。
明治以来、銀座のレンガ並木と言われた頃から、たった一軒の盆栽専門店。

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街行く人達が、“盆栽!“とびっくりして見て下さる光景。
“盆栽をご存知ですか?“  この言葉をどれほどかけたでしょうか。
あれからの長い時、盆栽は世界の方々が知る日本の文化として認知されました。
若い人達も、“オシャレだね!“  “カッコいいね“ と見て下さいます。
「銀座森前」から「銀座雨竹庵」名は変わっても、心に思うこの店の芯は変わりません。
いつまでも、この銀座で、盆栽と言う小さな小さな灯を守り続けることです。


銀座雨竹庵についてはこちら

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先月、業界の“影のドン“(怒られますね!笑)が、国内有数の名木愛蔵の大家から、
名樹の多くをその行末を委ねられたと聞き、三顧の礼で想いの深い真柏3点を譲って貰いました。

“海外には売るなよ“  これだけが“ドン“の言葉。
この中に日本の現代の盆栽界に一石を投じることになった名作がありました。
『遊』“遊び“と称されるこの真柏は、名匠木村正彦先生が、当時の先生の支援者であった、
大久保直彦氏(元衆議院議員・公明党書記長)によって、国風展に飾られ、
新しい時代の盆栽を提言するインパクトを与えた作品として、余りにも有名な樹です。

譲り受ける時も
「何人もの業者が大金を積んで交渉に来た。しかし森前君は手に入れようとする意味が違うようだ。
だから皆んな断った。殆どの業者が、中国愛好家などからの予約や入手希望を確約してから来ているのが見え見えだったからな」

ドンは私の心の中を見透かしているようでした。

羽生に持ち帰った次の日、木村先生のもとへ伺い『遊』は30年以上ぶりに作者の下へ戻りました。

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“ありがとう。この樹は私の思い出の樹、生涯この庭で守るよ“
と先生は仰いましたが私は
「先生が満足するまで手元において、海外に行くなら、作者である先生が“この方なら“と思う方に、先生の手で送って下さい」
と申し上げました。

先生がこの樹に“枝接ぎ“を施した頃は、枝の力も弱かったこの樹。

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今も旺盛な繁茂を続けて、名樹の相に届いていました。
今『遊』は、毎朝先生と対話する刻を過ごしています。
“創作盆栽“と言う、新たなジャンルの開拓者、盆栽人としてその技において黄綬褒章をただひとり受章された木村正彦先生。
ある意味、創作という盆栽の概念を表現した真柏。

先生と共に、人生百年を楽しんで頂きたいと願っています。

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