【時には“本画“の素晴らしさを愛でて❗️久隅守景と夏飾り‼️】
京都大徳寺「芳春院盆栽庭園」も、黒松赤松の“芽切り“も進み、30日の「夏越の祓い」が近づく中、季節は“夏の飾り“に移りつつあります。
庭内「通玄庵」の床の間も、夏蔦になり、主木の盆栽が“軽め“になる中、席中の“格“を創る為に、掛物に“本画“を使ってみました。
盆栽界水石界の展示会では、季節を扶ける飾り道具として、掛物を使う機会がありますが、
少し辛辣な意見で言えば、掛物に対する考え方にまだ修練が足りないように思います。
席飾りとしての掛物使いは難しく、まずは月や翔ぶ鳥など、“盆栽や水石に使い易いもの“が主になります。
勿論それで良いと思いますが、果たしてその掛物自体を美術的に見ると、
金額的価値観ではなく、掛物を愛する方々からみて、佳きものであるか?
私からみても多少の疑問があります。
例えば、盆栽に対して“鉢映り“は大切な要素です。
この鉢を軽んじれば、本格の舞台では減点対象となるでしょう。
鉢・卓・水盤・これらに気を遣うように、掛物への“格“に対しての“配慮と目利き“を心がけたいものです。
折角の盆栽や水石、他の道具立ては素晴らしいのに、骨董屋さんで安易に手に入れた掛物を使う事で、
ある意味、その分野に明るい人達には、
“盆栽や水石は素晴らしいと思うが、使ってある掛物が、骨董屋の軒先に土産物程度に売っているもの、
これを平気で使えるという事は、盆栽も水石も大した事はないのだろう“
こんな言葉をかけられた事が忘れられません💧
今回、通玄庵には、江戸初期の画家として「狩野派四天王」と謳われ、
国宝・重要文化財にも指定される作品を遺した、久隅守景の水墨山水図を掛けてみました。
名筆の伸びやかで無駄のない筆致と空間使い、紙の古感も良く、何より“表具“の仕立や古裂の質の良さが際立っています。
勿論それでいて主張し過ぎず、全体の席中の“余韻“を高雅静謐にしています。
私達の主たる物は勿論盆栽と水石です。
しかし、知識の研鑽は、最後に盆栽水石に立ち戻る“美への審美“になるように思います。
私は盆栽に対しても、水石に対してもまだまだ未熟です。
“盆栽の素晴らしさの究極は何か!水石の審美の極みは何なのか!“
いつも自分に問いかけています。勿論答えなど見つかりません。
しかし、日本文化に息づいた様々な美的遺産が、何かを気が付かせてくれる時があります。
日本画もそのひとつです。
日々、研鑽と修練を怠らず、もっともっと見つめていきたいと思っています。
京都大徳寺「芳春院盆栽庭園」も、黒松赤松の“芽切り“も進み、30日の「夏越の祓い」が近づく中、季節は“夏の飾り“に移りつつあります。
庭内「通玄庵」の床の間も、夏蔦になり、主木の盆栽が“軽め“になる中、席中の“格“を創る為に、掛物に“本画“を使ってみました。
盆栽界水石界の展示会では、季節を扶ける飾り道具として、掛物を使う機会がありますが、
少し辛辣な意見で言えば、掛物に対する考え方にまだ修練が足りないように思います。
席飾りとしての掛物使いは難しく、まずは月や翔ぶ鳥など、“盆栽や水石に使い易いもの“が主になります。
勿論それで良いと思いますが、果たしてその掛物自体を美術的に見ると、
金額的価値観ではなく、掛物を愛する方々からみて、佳きものであるか?
私からみても多少の疑問があります。
例えば、盆栽に対して“鉢映り“は大切な要素です。
この鉢を軽んじれば、本格の舞台では減点対象となるでしょう。
鉢・卓・水盤・これらに気を遣うように、掛物への“格“に対しての“配慮と目利き“を心がけたいものです。
折角の盆栽や水石、他の道具立ては素晴らしいのに、骨董屋さんで安易に手に入れた掛物を使う事で、
ある意味、その分野に明るい人達には、
“盆栽や水石は素晴らしいと思うが、使ってある掛物が、骨董屋の軒先に土産物程度に売っているもの、
これを平気で使えるという事は、盆栽も水石も大した事はないのだろう“
こんな言葉をかけられた事が忘れられません💧
今回、通玄庵には、江戸初期の画家として「狩野派四天王」と謳われ、
国宝・重要文化財にも指定される作品を遺した、久隅守景の水墨山水図を掛けてみました。
名筆の伸びやかで無駄のない筆致と空間使い、紙の古感も良く、何より“表具“の仕立や古裂の質の良さが際立っています。
勿論それでいて主張し過ぎず、全体の席中の“余韻“を高雅静謐にしています。
私達の主たる物は勿論盆栽と水石です。
しかし、知識の研鑽は、最後に盆栽水石に立ち戻る“美への審美“になるように思います。
私は盆栽に対しても、水石に対してもまだまだ未熟です。
“盆栽の素晴らしさの究極は何か!水石の審美の極みは何なのか!“
いつも自分に問いかけています。勿論答えなど見つかりません。
しかし、日本文化に息づいた様々な美的遺産が、何かを気が付かせてくれる時があります。
日本画もそのひとつです。
日々、研鑽と修練を怠らず、もっともっと見つめていきたいと思っています。