2022年09月
新潟・重要文化財建築での展覧会❗️
コロナ禍で2年間出来なかった、15年続く展覧「越佐・楓石展」が、
新潟県長岡市の酒元“久保田“で有名な朝日酒造の保存建築物「松籟閣」で開催されました。
水石協会の役員として、越後を代表して尽力している友人の中川さんが肝入りをされている関係で、毎回拝見に伺っています。
昭和前期の「モダンを取り込んだ和風建築」は、いつ見ても素晴らしいものです。
古典に則った水石や山野草の座敷飾り!
いいものです❗️
座敷飾りから生まれた明治からの盆栽水石の趣味。
今ではこのような展示会を開ける場面も少なく、会場を提供してくれる朝日酒造にも感謝!です。(久保田くれないけど💦)
世界に広がる盆栽と水石。
日本が捉えた美を伝える機会として、多くの人達に伝えたい文化です‼️
1本の命守る為の1000本の仕事❗️台風防御‼️
九州から東北を縦断した14号台風。
各地に被害をもたらし、苦難された方々に心からお見舞い申し上げます。
私達、盆栽業は台風が近づけば、すべての予定を壊してでも、“盆栽を守る“事に尽くします。
羽生雨竹亭は、庭内外、2000点の盆栽!
盆栽にとって一番怖い風害から守る為に、気象予報を見ながら、小屋に取り込むもの、棚から下ろすもの、鉢を縛り込むもの、樹に合わせて全員で行います。
大した事なければ、こんなに手間かけなくても💦と思う作業💧
それでも、甘く見ていた時に、大切な樹が被害を受けた苦い思い出。
スタッフもキツイ作業を頑張ってくれます。
台風一過、無事に過ぎれば、さあ💦戻し込み!これがキツイです。
“樹を守る“この思いで一気に頑張れるけど、何もなかったあとの作業は、クタクタになります。
各地のお客様のことも気になりながらも、伺って縛り込みをお手伝いできる所は限られています。
“大丈夫だったですか“こんな連絡しか出来ない時は、申し訳なく歯痒くなります。
“野分“と呼ばれる台風が幾度か過ぎれば、すっかり景色と空気は秋色になります。
守った樹達が、美しい葉色と姿で、訪れる方々を楽しませてくれる事を願って、戻し込み💦に頑張ります。
故郷で頑張る弟子達・国境を超えて皆で応援❗️
昨年の春、3年間の日本での修行を終えて、故郷中国へ戻った、ハオ君とツァオ君。
私と一緒に日本での技術習得を見守って下さった、名人・木村正彦先生も
“稀に見る二人。出来ればもう一度来日してあと数年学べば、紛れもなく、唯一の私の弟子として認められる“
とまで言わしめた逸材達。
故郷のご両親、ビザなどの関係で帰国しましたが、“ここからの更なる向上が大切“と思って、
私が公私共に盆栽家として人として信頼する、中国常州の王永康先生の所に預けて、“生活費は私が出します。
王先生には住居と食事をお願いします“とお願いして、一年半が経ちました。
雨竹亭の10倍はある王先生の「随園」二人はここで日々、数え切れないほどの盆栽の手入れに従事しています。
一年中、盆栽の手入れが出来る環境。
盆栽家を志す者なら、理想の日々と言える毎日を、彼らは怠る事なく過ごしています。
週に一度ほど、“会長、見て下さい“ と、仕事をする前の樹と針金施術をした後の姿を数多く送ってくれます。
70代の老翁・王先生は、何も言わずに、我が子のように彼らの仕事ぶりと技術の向上を見定めながら、扱う樹の内容と作家としての技術を授けてくれています。
日本の木村先生・中国の王先生。
交流のある二人は、本人達が言うようにまさに“義兄弟“のような盆栽を愛する老翁達です。
私には若き中国の盆栽家友人として大倉という所に孫程輝さんがいます。
商売ばかりが目立つ中国盆栽界(日本も似ていますが・笑)で、“この人は本当の盆栽業を作れる人“と思った人物です。
例えれば、ある日、私と久しぶりに彼の所で会う機会がありました。
当日、彼から連絡があり、
“森前、申し訳ないが、日程を明日にしてくれないか。実は昨日、悪天候で私の大切なお客様の盆栽が、強風で棚から落ちて鉢が割れてしまった。急ぎ弟子達と向かっているので“ と。
盆栽家は、愛好家あってのもの。
この姿勢こそが何よりも大切なのを私達も修行時代に身に付けました。
この孫さんの所に数年前から黒松の名樹を預けています。
培養から芽切りなど、“友人だから気にしないで“と、料金も取らずに守ってくれています。
ここへ先日、ハオ君とツァオ君を王さんの許可をもらって、手入れに派遣しました。
日本で習得した技術。
帰国して王先生の所で磨いた技。
私が思っていた通りの仕事を彼らはしてくれました。
“商売を考えるな、ひたすら盆栽と向き合え、そうすれば自然に人は集まってくるから“
そう教えて日々応援しています。
コロナなんて、早く消えて、昔のように海を渡って当たり前のように往来したいです。
盆栽を愛する仲間に、国も国境もありません。
若い二人と、もっと“次なる幕開け“を語りたいです。
盆栽人としての反省💧
【見捨てない命と象形(かたち)の継承】
羽生雨竹亭には、第一・第二・第三・各培養場を合わせると、数千本の盆栽があります。
お客様よりお預かりしているもの、美しく明日にでも飾れる手入れを施してあるもの、
まだまだ未完で数年をかけて作り上げてゆくもの、そして様々な原因で本来の姿を失って、
傷み枝枯れしたり衰弱によって樹勢の衰えが見られるもの。
そのすべてがここにあります。
先日、雨竹亭がこの地に根をおろして間もない頃からご縁を頂く愛好家夫人より“森前さんの声が聞きたい“との連絡を頂きました。
懐かしい方、ご家族でこの庭でひとときを過ごされる様子が蘇ります。
久方の夫人よりの電話の内容を聞いて、申し訳なく恥じ入る想いでした。
愛蔵して日々楽しまれている真柏の古木。
私のお誘いで、日本盆栽大観展に出品された樹です。
この連絡の少し前に、京都から羽生に戻ると、この真柏が庭にありました。
枝枯れをして、針金が食い込み、樹の劣化がハッキリと見られました。
“お客様が痛めてしまったのだろう、時間をかけて作り直さないと“と、
銀座や羽生でよくある樹の回復管理、と言う認識でした。
夫人の電話は以下の通りでした。
“ 森前さんとはホントにご無沙汰しています。頂いた真柏は、我が家の大切な樹として素人なりにも日々管理に努めて、楽しんでいました。
しかし、この数年、少しずつ状態があまり良くなく、羽生に連絡して相談していました。
そんな中、私が大病を患い、主人にも面倒をかけながら、樹を見守ってきました。
それでも中々、大観展に飾った頃の素晴らしい姿に戻ることはなく、
“このままでは樹の為にもいけない“と、幾度か羽生に連絡して“預かってほしい“と連絡しました。
出来れば森前さんに直接お願いと相談をしたかったのですが、担当の方との連絡で、今に至りました。
主人と相談して、これでは盆栽の為にも、趣味で楽しむべきもので、
心を痛めたり、苦労をしたり、盆栽を処分してもらって、この趣味をやめようか、と思っています“
エスキューブ・雨竹亭は、全国の愛好家の方々に盆栽と“サービス“を提供する会社。
夫人のお話を途中で“ごめんなさい“と言いたいのをこらえて、聴いていました。
“○○さん、お詫びの言葉もありませんが、せめて一年、この樹の為にも、私に時間を下さい。
一年後、大切になされた樹をご覧いただいてから、方針を決めて下さい“。
これが私がお答え出来る精一杯でした。
元々、良識深い人柄のご夫妻、私の言葉を受け取って下さり、ここから一年の時を、
この樹が、愛好家が、受けてきた刻を想いながら、樹勢の回復、樹相の改作に努めたいと思います。
担当者に非のすべてがあるとは思いません。
愛好家の方々、担当者の日々のあるべき姿、
そのすべてに“心くばり“が至らなかった、私の責任です。
若い頃、お客様に誘われて、ヘリコプターで、東京の夜の空を眺めた時、
“なんて綺麗!まるで宝石が散りばめられているようだ“と思った時、操縦桿を握るお客様から
「森ちゃん、この綺麗な光ひとつひとつに、多くの人達の“その人にしかないドラマと苦労があるんだよ。
綺麗な見方だけではなく、その中にある“真実“を感じることが大切だよ」
と教わりました。
この真柏も、百年以上の刻を深い山岳の中で必死に息抜き、人の目に留まり、自然界から盆栽への道を数十年前に歩み始めたものでしょう。
多くの盆栽家、愛好家の慈愛を受けて、盆栽としての姿を展覧会に勇姿を見せるまでになったのです。
今、この樹は、“人為“と言う恥ずかしい“災害“で、苦難の刻を迎えています。
人が与えてしまった災害ならば、人の手によって、回復させてみる!
羽生の庭にある数えきれない樹達。
日本盆栽界を代表する名樹達から、ささやかな名も無き、見捨てられがちな草木まで、それらはすべて「命」なのです。
忘れてはいけない“盆栽人としての大切な心“を、夫人が問いかけて下さった気がします。
人生、失敗だらけの私、この真柏は私そのものです。
もしそうならば、私のように多くの人達に助けられて、今を生きるそのままを、この樹にも授けてあげたいと思います。
しばらく、私と一緒にこの羽生で暮らします。
来年の秋、どのような“貌“になってくれるか?頑張ります!
盆栽を業として生きる皆さん、これは私の教訓です。
私たちプロは、日々多くの盆栽を世に送り出します。
そこには忘れえぬ名木もあれば、数えきれぬほどに扱ってきた数多の樹々もあります。
しかし、その樹を“家族“として迎えた愛好家の方々にとっては、どれもが“かけがえのない唯一の名樹“なのです。
盆栽ひとつで、“人の輪が広がる“・・この事を是非心に刻んでいきたいものです。