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盆栽歴50年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

2022年02月


二月中旬、盆栽の梅も枝先にちらほらと花が咲き始めました!
枯れ寂びた幹や枝の先に、寒気の中、芽も出ぬ中に咲く花姿。

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春の魁として見る梅の花は、長い冬の終わりと間もなく訪れる春を伝えています。
私は若い頃から梅の生きる姿が好きです。

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凍てつく寒さを耐え、自然界がまだ春を感じさせない時に、清廉な五弁の花を開かさせる。
まるで苦難の人生を生きる姿を物語っているようです。
床の間に「うぐいす」の掛物を合わせて、盆梅の完成した席を創ってみました。

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大徳寺の庭も緋梅の花が咲き始めました!
日本は桜と梅に春の謳歌が代表されます。

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対照的な二種です。
梅は訪れる春を伝える“ひと枝に咲く一輪の花“

桜は陽光の中、満開の花を湛える樹が、風に誘われて“花吹雪“となって降り注ぐ景色。
どちらが良いなど言えません。
春はいいですね❗️
でも、ここからすべての盆栽の“植替え“が待っています‼️

今はしばらく、この花姿を楽しみたいです❗️


コロナ下でも無事に閉幕した「第96回国風盆栽展」 
数々の名樹が一堂に揃う祭典は、その頂点の作品数点に“国風賞“の栄冠が与えられます。

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私達半世紀近く盆栽界にいる者達には、古来より名樹として名高い真柏が、
この国風賞を受賞された事は、選考審査に携わる方々の審美に対する良心を称えるべき事と喜んでいます。

さて、今回は数多くの真柏が海外の愛好家の方々より出品され、どれもが樹形素晴らしく、ダイナミックな存在感を会場に示していました。

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それらの樹を出品された方より「国風賞の真柏はどこが良いのか?よくわからない」と言う質問を受けました。
なるほど質問の通り、多くの皆さんが、国風賞の真柏に対して“この樹がここにある真柏群の中で一番?“と思われたでしょう。

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幹太く大型で、捻転する舎利芸の圧倒的な姿を持つ真柏が多数出品される中で、どちらかと言えば大人しいこの樹が何故栄えある大賞なのか?

私なりに想う意味をお伝えします。
造形という意味からすれば、今回の国風賞を凌駕する真柏は複数あったと思います。
別の言い方をすれば“もし、この樹達がここから年月を重ねれば“と想うものばかりでした。
日本の盆栽家達が最終的に求める盆栽の美と言う要素には、人が寄り添って過ごした年月、
鉢の中でどれ程の歳月を経た事で顕れる“表情“を重んじるものです。
盆栽は、人と自然が寄り添い、語らい、共に過ごしながら、「刻」と言う至高の導きが、真の美しさを創出してくれるものです。
その中には、表面的な“綺麗さ“を超えた、“人為では得られないもの“、
“自然が創り上げた“畏れ”にも似た、静かな厳しさが存在した樹“が、眼前に顕れた時、
ある意味の醜さを含めて初めて到達する“古雅“や“古感“、その総合的な美が、“美しい“と言う表現になるのです。

例えれば、若く演技も上手く顔立ちも綺麗な役者、その役者が歳を重ね苦難の人生を歩み演技に自然に“静かな重厚さ“を出すようになる。
皆さんはどちらが名優と思いますか?

学問優秀で眉目秀麗な若き禅僧。
人生を重ねて身を細めて、それでもすべてに達観して静かに佇む老僧。
どちらが名僧でしょうか?

盆栽は本来は、点数制で評価するものではありません。
しかし、展覧会では、大賞を選考するにあたり、その方式を行います。
日本の盆栽家達が、何よりも大切にするのは、この「刻を重ねた雅格」です。

日本盆栽作家の頂点、木村正彦先生に、この点を伺ったところ、
「私の作品は、幹を曲げ、根をたたみ、舎利を削り、まさにその樹が気の遠くなる歳月の中で受ける天災にも似た厳しい刻を一瞬で与えているのです。
その姿を評価してくださる事は、嬉しいですが、樹が最終的に名樹としての佇まいを醸し出すのは、
ここから日々の雨風を受け、四季を繰り返し、創出から四半世紀以上を経た後でしょう。
その時は、私が“創った“と言う人間の業にも似た、自然界には存在しないあってはならない“醜悪さ“が消えているでしょう」との弁。

盆栽は“輪廻“を繰り返すものだと思います。
創出から完成へ、そこから歳月という河に磨かれる玉のようなものです。
玉と盆栽の違いは、“生き続けている“事です。玉のように至高の完成を見られるのは一瞬です。
人が悟得の境地に近づけば、老齢となり生涯を全うする様に、盆栽が老成した姿をそのままに維持は出来ません。
また新たに創り直しをしなければなりません。
しかし、それは無からではありません。
一度老成して見事な姿を経たからこそ、次なる姿が深く誕生するのです。

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海外の皆さんが出品下さった真柏達は、“未来の名樹“として、ここからの老成を楽しみたい逸樹なのです。


縁あって、数年前国風展の大賞に輝いた楓の石付が手元に来ました。

若い修行時代、松田松月園氏の扱いで、展覧の席で拝見した時、“これが有名なあの楓“と心躍らせたものでした。

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細身の立石に絡みつくように根をおろした姿。
独特と言える樹相と、印象的な古鏡型の鉢。
40年前の出来事が目の前に甦りました。

羽生に届いた時、“これがあの樹?“  と思うくらい、印象が変わっていました。

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樹の培養状態、作品としての維持と手入れは満点なのに・・鉢映りでした。
培養を考えて和鉢の深みのある楕円に“のんびり“と植えられていました。
2ヶ月、全国の仲間に“古鏡型の中渡り鉢がないか?“と問い続けて、ようやく京都で想いの叶う鉢に巡り会いました。

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半世紀前は、紫泥のおとなしい古鏡。
今回はひとまわり大きくなった樹に合わせて
海鼠の大鍔型の古鏡。
植え付けを終えて、眺めれば、往時の感慨が再び心に甦りました。

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盆栽は鉢を“締め込む“事で、樹相が“大きく“感じられます。
勿論、培養のみを考えれば、楽な合わせが順当なのでしょうが、やはり“衣装“はその樹を変えます。
自分で納得のゆく鉢合わせ、私も和鉢まで入れれば3000点以上の鉢を保有していますが、
それでも、植え替えの時、うまく合わない時は、半日かけてもピッタリと来ない時があります。
48年間、植替えを毎年やってきても、それは変わりません。

盆栽人として、“最良の美なる鉢映り“を、いつも心掛けてゆきたいとあらためて思った楓の石付です。

“深山の更に奥を逍遥すれば、崖上より岸壁にしがみつくように生きる樹々の姿
その梢はあくまで細やかでやさしく、降りおりるような景色“

私の中の石付盆栽の象徴のひとつが“あの頃の姿“になりました。


6日に開催された第96回国風盆栽展も、13日より二部のスタートとなりました。

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一部に劣らぬレベルの高さ!
どちらが良いとなど言えませんが、私は個人的にはこのニ部の方が、グッと落ち着いた深みを全体の展示構成に感じます。

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松柏盆栽が席巻する時勢が続く中、季節の移ろいを感じる雑木盆栽や、
早春の自然を謳う“旬の盆栽“が減少してきているように感じます。

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中品盆栽・小品盆栽は、私の範疇を超える程の出来映えと内容!
感服するばかりです。


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コロナ禍オミクロンや、天候の不順など、来場者の減少が目立つ今回ですが、
100年の刻を続ける展覧会の中には、こんな時もあるものと、開催できたことを素直に喜んでいます。


山河に横たわっていた一塊の石を、人が“見立て心“で、美術芸術作品にも劣らぬ日本人の美意識の結晶とした“水石“。
これを美の殿堂と言える東京都美術館で開催すると言う悲願を実現して9年。
今年で9回目となる『日本の水石展』が始まりました。

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今回は、総席数150、特別出品の主座には、大徳寺塔頭「孤篷庵」所蔵の非公開盆石、小堀遠州、松平不昧公に由来を持つ石が公開されました。

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約250年前の不昧公による茶会に飾られた記録を有する歴史深い一石。

加えて京都に本拠をおく盆栽財団『慶雲庵』の紅幸太郎石など、賓石の数々が、披露れます。

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古来よりの陳列作法である座敷飾りの設備を作り、掛け軸を配した席飾りは、この展覧会ならではのものでもあります。

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国際的な人の往来が、国や文化の“特色“と言うものを薄めてゆく現代、
このような時代だからこそ、日本人の水石観が、大切なのではないでしょうか?

コロナ禍の開催、自然のような多くの参観は無理でしょうが、
美術館と言う広く安全な環境で、“日本“を堪能してみては如何でしょうか!


【第9 日本の水石展】

場所:東京都美術館 公募展示室2F-4

会期:2/142/18

時間:AM9:30PM5:30(入場PM5:00まで)

初日は式典のため10時開場

入場料:500

(団体10名様以上 400)
(
大学生・高校生;400円、中学生以下無料 

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