つい数日前、慌しい国風展・水石展を終えて、久しぶりの床の間飾りを盆梅で設えたのに、もう花は満開を迎えて、
1年間培養に努めた梅の“晴れ舞台“は、その役目を終えて応接室から“関係者以外立入禁止“の、第3培養場に戻りました。
彼岸の頃の温かさが続く中、山椿の懸崖の老木が、真紅の見事な花を咲かせました。
やっぱり春は花物盆栽の美しさに目を惹かれますね!
椿の盆栽は、やや日陰で一年中育てれば、比較的管理はしやすいです。
様々な花姿・花色・の種を持つ椿の盆栽ですが、私は目を瞑って浮かぶ椿の自然な花が
大好きです。
これは盆栽の種全体を通して思う事ですが、日本画家が描いた梅や椿に、園芸種と言われるものは殆どありません。
山里、庭先、何処かでふと目に留まった自然の中にある樹々の姿が、心のファインダーに映って残っていると思います。
“珍しいもの“、“稀少種“、は、それも楽しいものですが、私は自然界の淘汰の中で、
その姿や色を創り上げてきた、“当たり前“のものが1番好きです。
先週飾った掛軸「淡雪に月」をそのままに、同じ[雪月花]の飾りでも、梅から椿になる事で、そこに浮かび出る世界観は、季節を含めて別の空間になってきます。
これも盆栽と言う、その場所に“自然“を運び込める醍醐味だと思います。
脇床には、今年はじめての“水盤飾り“での水石を設えました。
京都の貴船石。穏やかな稜線を描く遠山姿の中に、残雪の景色を見せる古石。
“水温む“春の訪れを感じるように、水打ちの水盤の取り合わせにしました。
深山に咲く山椿
仰ぐ月には、未だ名残りの淡雪
遥か彼方の山並みには、山間の雪渓
自然のあるがままの世界を、盆栽・掛物・水石・で表現する。
海外での盆栽水石趣味が広がる現代、ともすれば高額作品の購買欲という面では、本家の日本も押されがち。
それでも、こんな永い歴史の総合的な文化の集合体の中で出来る世界観は、私達の国ならではのものだと思います。
そして、この感性こそが、次の時代に私達の国が世界に発信する“日本の力“なのではないか!と思うのです。
また数日間、この山椿に目を楽しませてもらいます。
1年の共に過ごしてきたご褒美のような時間。
元気にこうして花を咲かせてくれる事に感謝して。