“水石界の発展の為“と思って書き始めた「名石探訪」は、
各地に眠る未公開の水石名品を誌上でご紹介する企画として、100回を迎えるまで続けました。
これだけ書けば少しは水石界の役に立ったものと思ったら、出版社側より、
“こういった記事は森前さんしか書けないので、何か形を変えて続けてほしい“と、即座に言われて、
思案の末に
“ここからはその時書きたい事を自由に書かせて頂く“として「水石よもやま話」は始まりました。
今回で19回💧
毎回“何を書こうか“と浅学の身をつくづく感じながら、その時その時に思い付く内容を認めてきました。
時にはニュース性、時には展覧会内容、そして今回のような“自分が今本当に思っている事など、
水石界を取り巻く様々な事を気ままに書いています。
今回は久しぶりに、“ちょっと重く“ 水石の飾りの事などを書いてみました。
季節を捉えた“当たり前の飾り“には大切な基本がありますが、
そこに届く心の有り様、更には石を深く見つめてこそ観えるその石しか醸し出せない“何か“を捉える自分。
伝えたい事多く、堂々巡りになってしまいそうな解釈の難しさなど、
飾る事なく有りのままで読者の方々に綴っているつもりです。
盆栽も水石も突き詰めて行けば、最後に引き算をし尽くした端的なものへと導かれると言う原理、
それでもそこに届くには多くの“まわり道“をした末でないと見えてこない道がある事。
どこまで行っても尽きぬ道ですが、“その先にあるもの“があるなら只々歩いてみたいと思っています。


