羽生雨竹亭の100坪の収蔵庫は今、
常蔵の品々以外の約半分のスペースが、“夥しい“と言うべきほどの水石古石で満ちています。
約800点の桐箱入りの水石❗️卓に水盤‼️

若き頃、私の水石観に深い影響を与えて下さった、“水府散人“こと、薄井正志先生の大コレクションを、
京都綾部市の恩人、横山巌先生の所へ運んだ時の事を日本の名石群を思い出すものでした。
数ヶ月前、関西に仕事で出かけた折、お世話になっている大阪の盆栽愛好家の所へお伺いする予定でした。
その日、空からバケツで撒いたような雨となり、とても盆栽を棚場で手入れをする事が無理となり、やむなく中止しました。
現場の箕面市まで近づいていたので、関西の私共の“基地“、京都大徳寺盆栽庭園に戻ろうかと思いましたが、
箕面から程近い吹田市にお住まいの、横山先生のご友人で、
関西水石界の最長老、本山先生にしばらくお会いしていなかったので、お電話してみました。
お元気そうな声で私が突然お伺いしたいと言う事にも、喜んで下さいました。
5~6年前、ゆっくりお伺いして亡き横山先生との、本山先生と私しか知らない話など、楽しい時間を頂いたことが、昨日の事のように思い出されました。
久方のお伺い、まずびっくりしたのは、
以前ご自宅に所狭しとあった名石群を隣接の住宅を“水石の為“に買い取って、これをすべて水石の展示にされていた事です❗️

しかも以前よりもその内容が幅広く充実していました。
聞けば、やはり趣味のお仲間でご高齢となる方々が本山先生を頼って、結局その方のコレクションをそっくり入手する事が幾度か続いたそうです。
汲めども尽きぬ40年にわたる水石趣味の皆様との出来事、先生は最後にこんな事を仰いました。
“森前君、この間友人の葬儀に行って、その方の元気な頃の水石趣味の写真を見て思ったよ。
5~6人の良き仲間の写真、もう私しか生きていないんだよ“
水石・煎茶・文房・そして黄檗禅。
初めて横山先生にご紹介頂いたあの頃から40年、本山先生も当時は40代、八十路を超えた先生は、
もう同じレベルで水石を語らう友が居ないのかもしれません。
コロナ前、先生の主催する水石展に伺った時、思ったことがあり、業者として今まで誰にも喋らなかった事を先生に告げました。
「先生、私達は水石を商売して生活を立てている者、愛好家の方々の下に下にあるべき者です。
こんな失礼なこと、生まれて初めて言いますが、あの展示会でご挨拶した方々、先生のお友達かもしれません。
でも私には先生のご蔵石を“流通市価の数分の一で先生から手に入れる事を先生の顔色を見ながらそばにいる方々“ にしか見えませんでした。」
こんな無礼な事を言えばお叱りを受ける事当然と思っていましたが、意外、先生は複雑な笑みを浮かべておられました。
“先生、もし出来るなら、先生のこのコレクションを私に託して頂けませんか”
この言葉を伝えるのに、それ程の時間はかかりませんでした。

それから3ヶ月、巨人“水府散人“と並ぶ、関西の大コレクション、曽我山人(本山先生の号)、
ひとつひとつの石に込めた先生の“想い“をしっかり受け止めて、次の時代の愛好家への橋渡しをしたいと思っています。
それでも、ホントにすごい数❗️ 整理整頓でこの夏は終わりそう💦