【見捨てない命と象形(かたち)の継承】
羽生雨竹亭には、第一・第二・第三・各培養場を合わせると、数千本の盆栽があります。
お客様よりお預かりしているもの、美しく明日にでも飾れる手入れを施してあるもの、
まだまだ未完で数年をかけて作り上げてゆくもの、そして様々な原因で本来の姿を失って、
傷み枝枯れしたり衰弱によって樹勢の衰えが見られるもの。
そのすべてがここにあります。
先日、雨竹亭がこの地に根をおろして間もない頃からご縁を頂く愛好家夫人より“森前さんの声が聞きたい“との連絡を頂きました。
懐かしい方、ご家族でこの庭でひとときを過ごされる様子が蘇ります。
久方の夫人よりの電話の内容を聞いて、申し訳なく恥じ入る想いでした。
愛蔵して日々楽しまれている真柏の古木。
私のお誘いで、日本盆栽大観展に出品された樹です。
この連絡の少し前に、京都から羽生に戻ると、この真柏が庭にありました。
枝枯れをして、針金が食い込み、樹の劣化がハッキリと見られました。
“お客様が痛めてしまったのだろう、時間をかけて作り直さないと“と、
銀座や羽生でよくある樹の回復管理、と言う認識でした。
夫人の電話は以下の通りでした。
“ 森前さんとはホントにご無沙汰しています。頂いた真柏は、我が家の大切な樹として素人なりにも日々管理に努めて、楽しんでいました。
しかし、この数年、少しずつ状態があまり良くなく、羽生に連絡して相談していました。
そんな中、私が大病を患い、主人にも面倒をかけながら、樹を見守ってきました。
それでも中々、大観展に飾った頃の素晴らしい姿に戻ることはなく、
“このままでは樹の為にもいけない“と、幾度か羽生に連絡して“預かってほしい“と連絡しました。
出来れば森前さんに直接お願いと相談をしたかったのですが、担当の方との連絡で、今に至りました。
主人と相談して、これでは盆栽の為にも、趣味で楽しむべきもので、
心を痛めたり、苦労をしたり、盆栽を処分してもらって、この趣味をやめようか、と思っています“
エスキューブ・雨竹亭は、全国の愛好家の方々に盆栽と“サービス“を提供する会社。
夫人のお話を途中で“ごめんなさい“と言いたいのをこらえて、聴いていました。
“○○さん、お詫びの言葉もありませんが、せめて一年、この樹の為にも、私に時間を下さい。
一年後、大切になされた樹をご覧いただいてから、方針を決めて下さい“。
これが私がお答え出来る精一杯でした。
元々、良識深い人柄のご夫妻、私の言葉を受け取って下さり、ここから一年の時を、
この樹が、愛好家が、受けてきた刻を想いながら、樹勢の回復、樹相の改作に努めたいと思います。
担当者に非のすべてがあるとは思いません。
愛好家の方々、担当者の日々のあるべき姿、
そのすべてに“心くばり“が至らなかった、私の責任です。
若い頃、お客様に誘われて、ヘリコプターで、東京の夜の空を眺めた時、
“なんて綺麗!まるで宝石が散りばめられているようだ“と思った時、操縦桿を握るお客様から
「森ちゃん、この綺麗な光ひとつひとつに、多くの人達の“その人にしかないドラマと苦労があるんだよ。
綺麗な見方だけではなく、その中にある“真実“を感じることが大切だよ」
と教わりました。
この真柏も、百年以上の刻を深い山岳の中で必死に息抜き、人の目に留まり、自然界から盆栽への道を数十年前に歩み始めたものでしょう。
多くの盆栽家、愛好家の慈愛を受けて、盆栽としての姿を展覧会に勇姿を見せるまでになったのです。
今、この樹は、“人為“と言う恥ずかしい“災害“で、苦難の刻を迎えています。
人が与えてしまった災害ならば、人の手によって、回復させてみる!
羽生の庭にある数えきれない樹達。
日本盆栽界を代表する名樹達から、ささやかな名も無き、見捨てられがちな草木まで、それらはすべて「命」なのです。
忘れてはいけない“盆栽人としての大切な心“を、夫人が問いかけて下さった気がします。
人生、失敗だらけの私、この真柏は私そのものです。
もしそうならば、私のように多くの人達に助けられて、今を生きるそのままを、この樹にも授けてあげたいと思います。
しばらく、私と一緒にこの羽生で暮らします。
来年の秋、どのような“貌“になってくれるか?頑張ります!
盆栽を業として生きる皆さん、これは私の教訓です。
私たちプロは、日々多くの盆栽を世に送り出します。
そこには忘れえぬ名木もあれば、数えきれぬほどに扱ってきた数多の樹々もあります。
しかし、その樹を“家族“として迎えた愛好家の方々にとっては、どれもが“かけがえのない唯一の名樹“なのです。
盆栽ひとつで、“人の輪が広がる“・・この事を是非心に刻んでいきたいものです。



