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「雲の如く」真柏美と総合飾りの魅力
【"歳月"という古典・"審美"というモダン
三位一体が醸し出す"真の盆栽美"】
樹齢200年を超える生命を宿す真柏の古樹。
立ち上がりから樹冠へ届く天然の舎利芸は、僅かに生きる水吸い部分がまるで
"我が身を捨てて守る"死生観を自然の造形で表現しているようです。
己が生きる術を究極に削り取った末に現出した「スガタ」と言えます。
取り合わせた鉢は中国紫砂盆器の歴史と陶技の「誇りと伝承」を繋ぐために
"神業"を今に伝える老工の渾身の一作「朱泥扇型盆」。
伝承される盆栽と盆器の調和とは一線を画した合致が、
名品同士の邂逅で"新たな美"として絶妙な旋律を奏でています。
掛物は「如雲」。
明治に生きた禅の名僧 峩山 の墨跡。
何物にも捉われない心、まさに"雲の如く"は盆栽人もこの道に親しむ中で一考すべきものです。
一塊の石が高雅な姿へと導かれるのも、席全体の"しつらえと空気"ではないでしょうか。
モダンな美すら感得できる真柏、達観した禅僧が遺した一筆の書、
遠き昔山河に横たわる石をその手に取り上げ、石中に"何か"を観た人々。
三者が共に飾られた時、それぞれが共鳴しあい醸し出す気韻と情趣。
この醍醐味こそが、盆栽美の最も深く心に響く世界だと思います。
150年を超えて現代に続く
失いたくない盆栽界の「本道」らしきものが何なのかを
「覚悟」出来る思いがします。
何気ない盆栽飾りの一席に
何気ない盆栽飾りの一席に
"その奥に潜むもうひとつの世界観"があること、
そしてその扉を開ける楽しみをなさって下さい。
名月・十六夜・死生観の真柏美
【そして 羽生本店の看板「金看板」! 】
秋虫の聲が黄昏時に耳に沁みるこの頃です。
秋虫の聲が黄昏時に耳に沁みるこの頃です。
先日15年の培養の末、ようやく仕上げた真柏を応接床の間に飾ってみました。
まだ枝さばきに"若さ"は残りますが、双幹体の樹相は荘厳の中に
「死して次なる命を支える舎利幹、生と死の相生の姿」
を現出する"超越する自然界"を見事に表現してくれました。
市場の流通に追われる日々の中、歳月をかけて仕上げた作品への感慨はひとしおです。
合わせて十六夜の16日大安、雨竹亭本店の大門看板が掛け替わりました。
私淑する大徳寺芳春院ご住職である秋吉則州師の揮毫で掛けられた看板も
雨風で筆跡が霞んできていました。
"板を彫り直して貰おうか"と悩んでいた中、
先日、愛好家としてご贔屓を頂く板金師三代の名門、当代湯浅一徳様が
松の木に銅板を貼り、叩き出しと金泥漆を施した「雨竹亭」の立派な看板をお持ち下さいました。
誰に聞くでもなく、ご自分で当亭の看板を写し取り、ご恵贈下さったのです。
お客様の真心がこもった ものです。
私にとってお客様との有難いお付き合いが運んでくれた本物の「金看板」です。