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盆栽歴49年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

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【床飾りと 座敷飾り  精神性の高さは同じ】

11月に京都で開催された盆栽文化の真髄「玄虹会展」(於・大徳寺 芳春院)は、
すでにこのブログで2回 報告させて頂きました。(今井氏舩山氏
今井氏は床の間飾り・舩山氏は一室飾り。
芳春院全山を使った展示は、ともすれば床の間や一室など、目立つ席が人の目を引いてしまいますが、
会員の皆さんが求めているのは、そんな優劣ではありません。
ひとつの台座石に心を込めて展示される会員、一樹に森羅万象を感得して出陳される方。
朋友が会して互いの席を相照らしながら、自身が描けぬ美を堪能する。
そこに生まれる探求こそが会が求めるものだそうです。
業界団体が組織する大展覧会は、近年「賞争い」の様な空気が、トップレベルの中に感じられます。
良識ある愛好家達は、趣味者であるが為に大きな声を上げるでも無く、静かにその姿を傍観されていますが、
私達プロはその現状と未来に対する危惧を強く持たなければいけないと痛感しています。
その意味でも、この「玄虹会展」は、趣味家のあるべき姿が何かを教えているように思えます。
盆栽水石の内容は当然のことながら、それ以上に
この趣味を愛する者とはどの様な「人」であるかが何よりも問われる事を。
趣味とは 金銭や価値の優劣で 事が左右されるものではないと思います。
飾られた作品によってその人物に対する敬意が生まれる様な空気を最上としたいものです。
玄虹会の各席はそれをよく教えてくれます。


【京都大徳寺『玄虹会展』】

展覧会的な盆栽水石文化が 主流を占める昨今ですが、
海外とりわけ中国盆栽界の圧倒的な台頭は、盆栽や水石(鑑賞石)をその本体のみで楽しむ意味で、
本家とされる日本を凌ぐのは質量ともに時間の問題となっています。
その中で日本の盆栽水石は、世界に対して"何を発信すべきなのか" は、
この展覧に込められていると思います。
日本は古来より盆栽や水石を屋外で楽しむのではなく、室内に飾り、
そこに醸し出される空気感そのものを趣向の第一として来ました。
「侘び寂び」「幽玄」「もののあわれ」など、500年前に日本文化が生み出した美意識の根幹が、
盆栽水石にも感じられるのが、この展覧のような舞台です。
9年前のこの会の発足以来 御用掛けとしてお手伝いをさせて頂いてきた私。
今回の席の中で特に印象に深いものを数回に分けてご紹介します。

「ひとつの石が生み出した 景趣の広がり」

この席が飾られた大徳寺芳春院の大書院は、加賀百万石前田家による寄進で、
戦前はのちの宰相となった五摂家筆頭 近衛文麿公が京都帝国大学に学んだ時の寄宿所でもありました
(近衛家も芳春院の檀家様です)
本書院脇の"次の間"的なこの空間は、飾り上手の腕が試される素晴らしい室です。
今回は玄虹会最年少の会員 今井和貴氏が受け持ちました。
主飾りは瀬田川の梨地石。
盆山の美を示すこの石に「月に雁」の静かな茶掛。
そして脇床には、山柿の飄逸とした姿。
さながら「木守」と言うべき 侘びた風情を見せる実姿。

石には色も季節もありません。
しかし、それを飾る"道具立て"によって、自然の深い景趣が創出されます。
「威張らず、誇張せず、静けさという大切な衣装を纏った席」
これが日本人が探し求めた 審美の世界です。
名木名石のみが 美を伝えるわけではありません。
一木一草一石が、美意識高い人の設えによって、真の美を生み出すのです。


【玄虹会の研修旅行で出会った思い出】

大徳寺「芳春院」を舞台に毎年盆栽水石の奥深い展覧を試みる『玄虹会』の皆さんと、恒例の研修旅行に今年は新潟の旅をしました。

水石協会の理事を務める同地の中川氏が主宰する長岡での「楓石会」。
銘酒「久保田」で有名な朝日酒造の保存建築「松籟亭」での水石展覧は、
会員をして"地方で拝見する最高レベル"と言わしめる内容でした。
近隣の新津にある「中野庭園美術館」は、昭和前期 日本の盆栽界を代表する愛好家 中野忠太郎翁の旧宅。
五葉松名樹「日暮し」がこの庭にあった当時を、
会員の皆さんはタイムトンネルに入った気分で散策されていました。

年に一度の研修旅行ですが、毎回 想い出に残る出会いがあります。


【高砂庵 岩崎大蔵先生遺愛の松  本堂に展示!】

大徳寺芳春院は戦国大名前田利家の妻「おまつの方」が400年前に建立した名刹。
今回の玄虹会では、ここに高砂庵 岩崎大蔵先生遺愛の五葉松が出陳されました。

堂々たる威容を誇るこの樹は岩崎先生が所蔵数百の四国五葉松の中でも特に愛されていたものです。
現在は日本アルプスの麓、水清き安曇野の里で玄虹会会員 等々力義明先生が大切に愛蔵されています。
本堂西の間に朋友達の水石・盆栽を前室にして襖奥に設えられました。
樹齢250年、圧巻の太幹、ごまかしのない幹芸と葉性など、
まさに質実剛健な禅寺に鎮座する戦国大名の生き様の化身のようです。

座敷飾りというと、洒落た空間有美な盆栽に掛軸・添景を連想されるでしょうが、
盆栽1点を卓の吟味、そして飾られる「場の空気」を読みとってただひとつに集約して飾ることも、
"ここに始まりここに至る"究極とも言えます。
席主は前述の風情ある季節飾りにおいては甲信越を代表される名手です。
今夏、僅かに体調を崩されようやく本復となる間際での出陳熟考、
同朋の方々に大徳寺まで本人が行けずとも"我が身の替わり"にこの大樹を準備されました。
迫力ある大型名木を出陳する意気込みを「私は元気だから」と友人達への心のメッセージにされたのでしょう。
展覧会などで授賞を競う楽しみ他に、この様な"友へ伝える心"によって飾られる座敷飾りも
日本の盆栽愛好家の素晴らしい一面ではないでしょうか。


【静謐の極み 玉堂・伊豫石・五葉松】

大徳寺塔頭「芳春院」の別室 書院に設えられた席は、
本床に水石飾り、対面の毛氈飾りが、一体となった"室ひとつを舞台"とした深い"考案"がなされた展示です。

本床は、川合玉堂筆「三更」月に落雁、題の三更は深夜"子の刻"つまり11時〜2時の名。
暗闇で見えぬ夜空の月明りに雁の姿、
画中には描かれていても目では見えぬもの、眼下には人影も無い瀬の岩場。
遠くには杣人の庵らしき粗屋。
まさに"侘しさ"漂う景色が浮かんでいます。
利休に代表される茶人の精神を表した藤原定家が残した名句
「見渡せば花ももみじもなかりけり、裏の苫屋の秋の夕暮れ」
そこに存在する景色が「寂びがれた景色」それを観て人が喚起される「侘び心」
この相対こそが俗に言う「わびさび」の真実です。
ひとつの言葉として使われる現代ですが、両者は具象と心象の相対なのです。
本席はこのもっとも日本的な美意識を水石飾りによって見事に表現された好例と言えます。

対面する五葉松は細身の根連り。 
あくまで細く百年を超える樹齢を経ても盆中で肥培させず、老幹の揺れ立つ姿の林立が、
かの長谷川等伯の名画「松林図」を彷彿とさせる程の精神美を纏っています。
盆栽は人の手によってその姿が形作られてゆきますが、
長い刻をかけることで"人の介在と存在を消し去る瞬間の美"が現出されることがあります。
この樹はまさに今、香り立つその美をみせています。
傍に置かれた木彫の「笠と杖」作者田中一光師の銘は"旅の終わり"。

神韻漂う松林は辿り着いた"悟りへの道"、長い求道の旅の末、旅人が旅装と解いた安住の地。
盆栽と添景が共鳴して描き出す更なる"奥の世界観"。
本室は世界に誇る日本の盆栽水石趣味の深奥を感じる見事なものです。
脱帽!

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