芳春院で開催された玄虹会展は本堂 書院 茶室 新庫裏書院の全てをお借りして設えられました。


茶室は色鮮やかな山柿の一席。

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時雨の中に散り舞うもみじの葉、葉落ちの柿が一層の風情“もののあわれ”を感じさせています。

席主がこの席に込められた“思い”と出陳に至る出来事もある意味の盆栽水石を通してのエピソードと言えます。

禅林の茶室に柿の盆栽 と言う一歩間違えば園芸的な色気で場面を壊してしまう慎重を要する飾りを
“侘び数奇”の境地へと昇華させたのは、人と人との邂逅でした。

席主は数年前に夫人を亡くされ、一時は落胆の中体調を崩される事もありましたが、
今は友人達と盆栽三昧の日々を過ごされています。

“柿の一席”を考案する中で席主は夫人との最期の旅となった奈良の道すがらで足を留めた盆栽園との出会いを思い出され、園主に連絡しました。

「斑鳩調布園」は昔都下から奈良へ移った店で主人塚本氏は実物花物の名手と謳われた方です。

席主が当時訪れた時は自作の柿が数百点あったのですが、
“柿はまだありますか”との問いに“身体を患って殆ど処分してしまい、
一本だけあるけどそんな立派なものではないよ”の答え。
席主は夫人の思い出、預かった茶席、まるで何かに惹かれるように奈良へ赴きました。


免許を持たない席主はこれを列車の旅で持ち帰り、熟考の末出入り方の盆栽園と今回の展示に合わせる絶妙の管理をされました。

鉢も和鉢に入っていたものを備前の名人藤原啓の緋襷の名器に移し、「侘び」のみになりがちな柿の飾りを「綺麗寂び」へと誘われました。


散りもみじの掛物にも玄虹会が大切にする“朋友の信”が隠されています。
この掛物ともう一つの写真にある五葉松とくず屋石の床飾りの席に掛けられた遠州流の掛物は実は其々逆の持主のものです。

日頃より親交の深い両者は互いに今回の席の創案を談ずる中で“掛物を取り替えてみよう”となりました。

創出された柿の一席は芳春院ご住職をして「迷雲亭が明るくなりました」と賞賛を頂く“柿の茶席飾り”の記録に遺すものとなったのです。


もう一つの出来事が展覧中にありました。
半身が不自由な柿の作出者である塚本氏が夫人を伴って芳春院まで訪れた事です。

“儂の作った柿が本当にそんな立派なお寺の茶席に飾られているのか”
と席主の案内状にも半信半疑でいらしたのです。

大病をされ、生涯をかけた盆栽業も樹の為に縮小せざるを得なかった氏は
自身の育てた樹が至高の展覧の中で衆目の的となる姿を感慨深くご覧になられました。

人と人、刻と縁が現出したような「心に沁みる」一席でした。



そしてこの席の朋友が描いた深遠な飾りをご紹介します。


五摂家筆頭の近衛家はこの芳春院の檀家で、展覧に使わして頂いた大書院は
後に内閣総理大臣まで務められた近衛文麿が京都帝国大学に通う間、
居所として使用した近衛家寄進の建物です。

この書院の一室に飾られた本席はまさに日本美の窮める「幽玄なる韻」を響かせるものとなりました。


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静かに屹立する五葉松の木立、翠と言うよりは寂味の効いた飴色と讃えたい五葉松本来の“冬枯れ”の色彩です。

寒風に晒されながらも凛と立つその姿は宛ら老僧の観すら伺えます。

現代的な大鍔の鉢合わせは目を引くもので、この樹を範として多くの類似作品が世に登場した祖と言えるものです。
旧蔵者は斯界を代表される故高木礼二翁、花博の記念切手になった事でも知られる樹です。

一枚板の広い脇床に設えられたくず屋石は巨人岩﨑大蔵翁の遺品。


両大家が遺された名品をひとつの席に調和させながら韻を醸し出させるのは、
熟練の数奇者である席主ならではの力量と言えます。

江戸期茶道遠州流中興の祖である小堀宗中の和歌

「雲晴れてのちも時雨る柴の戸や山風はらう松の下露」

霜月の山時雨が過ぎたのに庭の戸にまだ時雨が降ると思ったら松の枝からの露のようだ。


新古今集の情景は時代を代えても日本の自然観を歌いあげています。

寒々とする中に立ちつくす古松、書中に歌われた景色を扶ける草庵、まさに樹石書が三位一体を成して
「侘び心」を見事に現出した一席です。




 
大書院のもうひとつの“ハレ”の床飾りをご紹介します。


古来よりの定法の則った「書院造り」の間は、盆栽飾りに老練な愛好家でも意外に難攻とするものです。

格調が高く、主飾り脇飾りの取合せが難しく、玄虹会でもこの席での盆栽飾りは初の試みとなりました。


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主木は現代盆栽界に於いて国際的にも松柏の筆頭である五葉松を凌駕する人気を博す真柏。

造形美が目立つ真柏盆栽の台頭の中でこれ程の古雅なる気韻を見せる“本物の真柏美”を具現する作品は
近年は見る機会も無く、訪れた著名盆栽家達も樹のみで唯々唸るのみでした。

併せて真柏での掛物合わせは甚だ難しく、今回席主が取り合わせた書「如雲」はまさに真柏での床飾りの手本と言えるものでした。


その姿人界には無く、神仙住む天上界の観有りの真柏はこの天龍寺管長 峨山師が遺された
“雲の如く”によって心象の世界観が完成しました。

脇床には神馬(しんめ)と古色見事な古谷石、大臣(おおおみ)たる摂家近衛家の間ならではの
“ハレ”の取合せ、「波濤」の銘を持つ古石が「高天ヶ原・渡海・天孫・神」とこの席と室が持つ気高さを調和させています。

盆栽水石の飾りはともすれば景色の調和が重視されますが、
“日輪に富士・松に鶴」などに代表されるハレの飾り“は、
ある意味侘び寂びの世界より更に深い気韻が潜んでいるといえます。



例えれば、利休の“黒”つまり、無に近い境地と、秀吉の黄金の茶室にある
“窮めたる侘びが黄金の中に感得できる心の有りよう”に近いものです。


この書院造りの一席は、王道の盆栽飾りを再考する機会を投げかけてくれました。