雨竹 盆栽 水石 便り

盆栽歴42年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

タグ:中国


【失われた広東窯の再現・普及を!】

数年来取り組んできた
"本物の中国現代名鉢"を日本に!
の願いが現実的にこの秋に届きます!

一昨年より試行錯誤の試作から始まった釉薬鉢の原点"広東窯"は、
今春の国風展での発表時は、均窯釉を中心に著名盆栽園の方々よりの注文で、
春に自分で植え替え用にと思っていた分さえも売り切れてしまいました。
一見すると、中渡均窯名器と区別すら出来ない作品と評価頂き、
苦労した甲斐があったと安堵したものです。

「石峰雨竹」と落款を押したこの一連の作品は、その後、窯元である作家本人 劉先生との
"高く売るのではなく、広く多くの愛好家に、永遠の定番と言われる"
と言う願いを基に、名器に伍すランクと、
釉薬の素晴らしさを普及する量産型の双方の制作に取り組んできました。

7月の広州は、気温40度! 
ただ立っているだけでも数分で着替えたくなるような汗が出てきます。
そんな中でも、劉先生と製作スタッフの方々は
私の為に数多くの素晴らしい釉薬発色を呈する作品を生み出してくれていました。
秋には皆様にご覧いただけると思います。

私の夢は、盆栽家としての実用と美意識で描いた鉢を造りたいと思い、
国風級の逸品作・100種 
一般の愛好家が楽しまれ使えるもの・100種 
を完成して、常時羽生に揃えてみたいということです。
「鉢を探すなら、羽生の雨竹亭に行って探そう!」
こんなことを夢見ています。
秋にはこの夢の一部をご覧に是非羽生へ遊びにいらして下さい。


【海を渡った"命達"と向き合う刻】

私とスタッフの白石君、そして木村正彦先生の愛弟子 森山義彦君、
北京・南京 などの日本から多くの名盆栽を求められた愛好家の方々の所へ、樹の手入れ管理指導で訪れました。

ひとつひとつ、日本の盆栽界が刻と労苦を惜しまず作出した樹々。
遠く離れたこの地でも元気に格調高く生きて欲しいと願いを込めながら鋏を入れました。
手入れに対する諸々技術を地元の若い管理者に少しでも伝えたい、
いつかはこの国の人達だけで守って欲しい、
自分がここで出来る事はどこまでなんだろう?と、
この盆栽達が生まれた「山青く水清き国」日本を離れて生きる彼等と共に過ごす僅かな時間の中で想いました。
"もっともっとお互いの国のプロアマが、交流を深めないといけない、
特にプロは 売り渡す事で仕事が終わるのではなく、始まるんだと心に刻んで欲しい"
そんな事を胸の中に感じながら鋏を進めました。


【木村正彦・小林國雄・二大作家の作品群 中国最大美術オークションに登場!!】

以前より取引を頂いている北京の溤さんの「大観堂盆景園」が開園しました。
短い時間を割いて当日の夕方伺いました。
古美術を主体とする世界的な活躍をされるオーナーは、
盆栽を既成の世界から"美術との融合"をコンセプトに新しい切り口での展開をされています。
蒐集された500点を超える盆栽は勿論のこと、室内展示場は現代美術から香木・美術的年代家具など、
幅広い"アート"と盆栽が繰り広げる空間が創出されていました。

「すべての作品や美術が、それぞれの価値観を持ち、共に鑑賞されることで新たな美的喚起を生み出す」
ロンドン・香港・ニューヨーク・北京・上海など、
国際的に数億円の美術品を手掛ける溤オーナーならではの視点が生み出した 捉え方に脱帽です。

併せて、北京で開催された世界五大美術オークション「嘉得オークション」の大舞台に別室ではなく、
各出品作品とコラボするように陳列された盆栽はオーナーの所有する木村正彦先生小林國雄先生らの名木達。
今回の出品で直ぐに成果を求めるものではなく、
盆栽の持つ本来の価値観と将来への市場性価値の変化を睨んでの挑戦は、
日本のプロである私ですらその目標の高さに頭が下がる思いでした。
日本もそろそろ盆栽の美術的市場性の開拓を真剣に考える時が来ていることを痛感しました。


【中国 宜興  里帰りした古渡盆器の名品展】

先日、今年の盆栽中国輸送の際に、宜興市博物館で開催中の名盆器展を見学する機会を得ました。
10年位前まで日本盆栽家達が100年の歳月を守り続けた名器群が "里帰り "の形で、生まれ故郷のこの宜興の地に戻りました。
拝見して感慨深かったのが、居並ぶ名品盆器の半数以上が、私の旧蔵品で、若き頃より名盆器を扱い、
一時は故片山先生の跡を請けて美術倶楽部の鑑定家になる人生の思い出深い品々ばかりだった事です。
古渡最高峰と謳われた"李鴻章の烏泥"は、別格で飾られていましたが、
当時中国を代表する蒐集家 楊貴生先生に請われて手放したことが、昨日のように思い出されます。
楊 季初 の 絵白泥・川石山人の紅泥・為善最楽の梨皮紅泥
数えればキリがない数々の"思い出の名品"が、ここに集まっていました。

日本から海を渡らせることに忸怩たる思いを持ちながら当時を過ごしていた私ですが、
こうして大切に"博物館"の展示品として扱われている姿を見ると「これで良かったのかな」と思います。
私は今、この宜興に僅かに残された"古渡の技術"を踏襲する窯場と未来の実用盆器の研究製作に取り組んでいます。
試験的に完成した作品は、日本到着と同時に蔓青園氏を筆頭に著名盆栽家達の目に留まり、
自分で使いたいものまで含めて、あっという間に無くなってしまいました。
10代で恩師須藤進が運んだ「新々渡鉢」銀座三越時代に遮二無二扱った盆器達、
そして自ら中国との交流をする中で、手探りで始めた「名器の再現」。
秋には未来の国風展用の"廉価な名器"を多くの愛好家にご紹介したいと思います。




【漢"おとこ"達が 夢見た 緑豊かな開発】

エスキューブ中国盆栽輸送の最大協力者、王 永康 先生からの"貴州へ飛んでほしい"の言葉で、
私と白石・伊吹の3人は、中国南西部遥か遠くの貴州省 銅仁市へ初めて辿り着きました。

訪れてまず驚いたのは、空気が美味しく、山蒼く、水清く、
まるで "ここは日本の何処か?"と思う程の風光明媚な地。
王さんの友人であり、現地の"聖地"梵淨山へ続く山村を、僅か3年で中国を代表する一大観光地に変貌させている 楊 栄寧 さん。

同地の市街に生まれ、徒手空拳の身から 貴重な自然地域の保護と近隣の観光開発をする名手は、
5年前、他の仕事をすべて投げ捨て、故郷 銅仁・江口地区 を "仏の山"梵淨山へ続く入り口として
この地の「自然融合型」の開発に着手された。
王さんは、盆栽家として中国の"NHK"つまりCCTVにもドキュメンタリー番組が放送された著名人だが、
作庭設計の分野においても力量の高さが評価されていて、楊さんの依頼で2年前からこの開発に協力されている。
「森前さん、この140mの観光玄関口に"日本"ならではの庭園を設計してほしい」
江戸初期からの家脈の歴史を持ちながら、盆栽家の道を選んだ私は
"18代目 植七 当主"と言う、名目だけと思っていた己の血が、日本から遠くのこの地で 試されるとは思ってもいませんでした。

夕食が済んで夜10時、昼間見たあのがれ地の様な場所の記憶から構想を練り、
紙の上に構想略図を書き始めて、何とか想いを纏められたのが、朝食前の朝8時。
楊さんに図面を見せて私の考え"東国の夢・仏と悟りの旅"の意味を伝えると、
手を握り「早速着手します。森前さんの図面通りに必ず造ります!」と私の拙い一夜の拙案を即決された。

"ああ、この人は仕事と言う自分の夢と戦っているんだな"と自分に重ねて生き方を感じました。
ここ銅仁市へ来る道中には、昨年 福山雅治さんが旅して話題を集めた
中国「苗族・ミャオ族」の村落がありました。楊さんの一族も元はミャオ族出身だそうです。
盆栽を通じて信頼を深めた中国、世界大会にも王さんと来日される楊さんは
「この地に盆栽のテーマ庭園も造りたい・約2万坪」とも仰っています。
15才で盆栽の道に入った愚凡な私が、こうして海の彼方で心を同じくする"熱き男達"と出会う。
この仕事をして良かった・有難い と本当に思います。
それにしても"仏の山・梵淨山"は凄いです!
頂上のお堂で願いを祈ると叶うと言う伝説は、中国の国家主席・周 近平 氏が 就任前に参詣祈願 したことで、有名になったそうです。
今度訪れた時は、私も盆栽家としての夢を祈願しに 天空の堂宇へ登ろうと思います。

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