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盆栽歴42年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

カテゴリ: 盆栽


45,000人!の記録的な展覧!

4月27日~30日に開催された「第8回世界盆栽大会」は
予想をはるかに上回る45,000人の入場者数を記録して無事に終わりました。
私は「京都国際文化振興財団・慶雲庵」「舩山コレクション」「日本の水石100選展」の特別ブース三か所の設計デザイン、
展示構成など、半年間に及ぶ準備の末の "能力限界"の仕事に取り組みました。
43年の盆栽水石に関わる刻の中で、これ程の人と規模のイベントに参加出来たことに、感慨深いものを覚えました。
開場前は1~2時間待ちの方もいらしたとか、ありがたいことです。
とにかく人人人!
人の波の中での展覧、盆栽や水石達も驚いたことでしょう。
数回に分けてこの展覧のご報告をさせて頂きます。


【漢"おとこ"達が 夢見た 緑豊かな開発】

エスキューブ中国盆栽輸送の最大協力者、王 永康 先生からの"貴州へ飛んでほしい"の言葉で、
私と白石・伊吹の3人は、中国南西部遥か遠くの貴州省 銅仁市へ初めて辿り着きました。

訪れてまず驚いたのは、空気が美味しく、山蒼く、水清く、
まるで "ここは日本の何処か?"と思う程の風光明媚な地。
王さんの友人であり、現地の"聖地"梵淨山へ続く山村を、僅か3年で中国を代表する一大観光地に変貌させている 楊 栄寧 さん。

同地の市街に生まれ、徒手空拳の身から 貴重な自然地域の保護と近隣の観光開発をする名手は、
5年前、他の仕事をすべて投げ捨て、故郷 銅仁・江口地区 を "仏の山"梵淨山へ続く入り口として
この地の「自然融合型」の開発に着手された。
王さんは、盆栽家として中国の"NHK"つまりCCTVにもドキュメンタリー番組が放送された著名人だが、
作庭設計の分野においても力量の高さが評価されていて、楊さんの依頼で2年前からこの開発に協力されている。
「森前さん、この140mの観光玄関口に"日本"ならではの庭園を設計してほしい」
江戸初期からの家脈の歴史を持ちながら、盆栽家の道を選んだ私は
"18代目 植七 当主"と言う、名目だけと思っていた己の血が、日本から遠くのこの地で 試されるとは思ってもいませんでした。

夕食が済んで夜10時、昼間見たあのがれ地の様な場所の記憶から構想を練り、
紙の上に構想略図を書き始めて、何とか想いを纏められたのが、朝食前の朝8時。
楊さんに図面を見せて私の考え"東国の夢・仏と悟りの旅"の意味を伝えると、
手を握り「早速着手します。森前さんの図面通りに必ず造ります!」と私の拙い一夜の拙案を即決された。

"ああ、この人は仕事と言う自分の夢と戦っているんだな"と自分に重ねて生き方を感じました。
ここ銅仁市へ来る道中には、昨年 福山雅治さんが旅して話題を集めた
中国「苗族・ミャオ族」の村落がありました。楊さんの一族も元はミャオ族出身だそうです。
盆栽を通じて信頼を深めた中国、世界大会にも王さんと来日される楊さんは
「この地に盆栽のテーマ庭園も造りたい・約2万坪」とも仰っています。
15才で盆栽の道に入った愚凡な私が、こうして海の彼方で心を同じくする"熱き男達"と出会う。
この仕事をして良かった・有難い と本当に思います。
それにしても"仏の山・梵淨山"は凄いです!
頂上のお堂で願いを祈ると叶うと言う伝説は、中国の国家主席・周 近平 氏が 就任前に参詣祈願 したことで、有名になったそうです。
今度訪れた時は、私も盆栽家としての夢を祈願しに 天空の堂宇へ登ろうと思います。


【盆栽文化の発展交流と海外流出の葛藤】

第4次エスキューブ中国盆栽輸送が進行しています。

陝西省西安地区の農業特区「楊凌」に中国政府の農業発展パビリオンに
「日本盆栽展示館」を解説して5年の月日が経ちました。
検疫・水質・陸送等々、胃が痛くなる様な出来事を繰り返し、今は中国盆栽界も私共のパビリオンをご存知です。

一定の検疫、展示・学術的的研究の期間を経て、外へ出せますが、
近年の日本国内盆栽界の中国偏向は、それに関わるエスキューブ自体も歯痒さを解決出来ずにいます。
国風賞クラスの名樹を希望する中国、残念ながら現在の国内盆栽界の市場では、
所蔵各園が求める代価に応えられる顧客は1:5位の割合で圧倒的に海外勢の吸引力に押されています。
対中国盆栽事業に一歩先じている私共は、せめて海を渡る"彼達"が、
健やかな環境と一過性の購買者ではなく、本当に盆栽を愛する人達に育てられることを祈るばかりです。
ひとつだけ、日本盆栽業界にお願いするのは、
中国愛好家へ高額名品を販売されるプロは、出来ればその樹がどんな所で管理されるのか、
手入や基本的な技術者がいるのか、気にとめてほしいものです。
"売れればいい"と言う思いは、盆栽家として一考して欲しいです。
今年も樹々の安全を祈る日々がまだ続きます。



【今は亡き加藤三郎先生の遺作を前にして】

業界の中では日々仕事を供にする蔓青園5代目 加藤崇寿氏。
先日この蔓青園に久しぶりに伺いました。
名樹の数々は相変わらずです! 
庭の一角に 蝦夷松の大型寄植え石附が大切に管理されています。
これは 日本の盆栽界の現代の姿を築いて下さった、蔓青園3代目故加藤三郎先生の遺作群です。
人が天寿を全うしても、その作品は受け継がれた人達の愛情で次の時代へ残されてゆきます。
あまり語ることはしませんでしたが、三郎先生は私にとって特別な存在なのです。
勿論、協会理事長職や名声を思えば不遜な事かもしれませんが、17年前の出来事は今も鮮明に覚えています。
銀座の店を開いて数年、事業資金などに行き詰まって店の存続を悩んでいた時がありました。
業界内での面倒臭い慣習や、業者同士のレベル低い脚の引っ張り合いなど、本当に嫌になっている時でした。
商用で三郎先生の所にお伺いした時、先生は当時の私の胸の内を察してか、
「森前君はあまり業界の事は考えなくていいんだよ。君は"銀座"に盆栽店を持ったんだよ。
この店を1日でも長く頑張る事が盆栽界にとってどれほどありがたいものか、それこそが君にしかできない事なんだよ」と。 
誰からも無理と言われた銀座の店、その店で頑張る勇気を先生は私に教えて下さったのです。
偶然ですが、銀座の店は開店日が5月15日、奇しくも三郎先生誕生日。
目の前の先生の作品を見て、私がやるべき事を改めて思う刻でした。


【運命の糸が導いた 羽生への100点の「王の樹」達】

19日から21日にかけて10トンのウィングトラック5台が、
順番に羽生に到着しました。
四国新居浜「高砂庵」の巨大松柏盆栽を積んだ一群です。
ちょうど2年前、高砂庵の盆栽コレクション全品を羽生に運び、世界の方々から注目を浴びましたが、
あの時、故岩崎大蔵先生が選び抜いた庭園内に直に植えられていた大型松柏は、
相続の扱い方の違いで交渉できませんでした。
日本一の宮島五葉・神木と言える聳え立つ杜松・夥しい数の築山に植えられていた樹々など、
幾度か応答を取り、行方を気にしていましたが、大阪方面の事業家の方が、
河野一郎先生の茶室「松濤庵」や 本体の「高砂庵」も既に解体して移築されているそうです。
"高砂庵を残したい"誰もが願う事ですが、私共盆栽業では庭内の盆栽や樹々をなんとか譲り受けるのが精一杯でした。
中国向けのこの春最後のコンテナ積込を間近に控えて、
羽生雨竹亭 第一・第ニ・第三培養場のすべてが盆栽で埋め尽くされている中の "神々のお出まし"。
やむを得ず、オークション会場の外棚と駐車場を使っての仮置きとなりました。
"ようこそ羽生へ"
確かに大きく、人間の手で持てる大きさではありませんが、
数百年の宿る命がまた、我が家の家族となった事は、苦労はあっても嬉しいものですね。
家族にもスタッフにも言われます。
"大きい盆栽が大好きなんでしょ"って。

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