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盆栽歴43年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

カテゴリ: 盆栽


【「盆栽も庭もこのままで維持しろ」久原房之助の精神を受け継ぐ長谷家 】

十数年ぶりに「盆栽ロード」を庭内に持つ港区白金「八芳園」を訪ねました。

オーナー奥様の長谷久美子様に出迎えて頂き、
盆栽を広める私共「雨竹庵」と、の1万坪を有する都心の大庭園、
そして旧所有者であった日立製作所創業者である久原房之助翁の遺徳を半世紀を越えて受け継ぐ方々の"確固たる思い"が、
ある意味共通している事に感動しました。 
「人の手を加え過ぎるな、自然のあるがままを大切に」など、
名庭を散策すれば75年前よりこの地でずっと守り続けられる盆栽達と、
仰ぐほどの"人の心が創り上げた大自然"と言うべき樹々に対する守り人達の精神がしっかり息づいている事に、
盆栽人として深く学ぶべきものを感じました。
日本はこの様な"事業の中にも揺るがぬ信念"が築き上げた歴史がある事を
もっと海外の人達にも伝えるべきと痛感しました。
もしかすると、帝都においてひとところに変わらず生き続ける盆栽の(皇居は別として)最長のものかもしれません。
頭が下がります。 

【そして 羽生本店の看板「金看板」! 】

秋虫の聲が黄昏時に耳に沁みるこの頃です。
先日15年の培養の末、ようやく仕上げた真柏を応接床の間に飾ってみました。
まだ枝さばきに"若さ"は残りますが、双幹体の樹相は荘厳の中に
「死して次なる命を支える舎利幹、生と死の相生の姿」
を現出する"超越する自然界"を見事に表現してくれました。
市場の流通に追われる日々の中、歳月をかけて仕上げた作品への感慨はひとしおです。

合わせて十六夜の16日大安、雨竹亭本店の大門看板が掛け替わりました。 

10年前、この雨竹亭が完成した時、
私淑する大徳寺芳春院ご住職である秋吉則州師の揮毫で掛けられた看板も
雨風で筆跡が霞んできていました。
"板を彫り直して貰おうか"と悩んでいた中、
先日、愛好家としてご贔屓を頂く板金師三代の名門、当代湯浅一徳様が
松の木に銅板を貼り、叩き出しと金泥漆を施した「雨竹亭」の立派な看板をお持ち下さいました。
誰に聞くでもなく、ご自分で当亭の看板を写し取り、ご恵贈下さったのです。 

百年もつ見事なこの看板は、単に板金師の匠作と言うだけではなく、
お客様の真心がこもった ものです。
私にとってお客様との有難いお付き合いが運んでくれた本物の「金看板」です。 

 
私を信頼下さる愛好家の方から新木の頃より15年近くお預かりしている真柏達が、
ようやく完成の段階に仕上がりました。
ご本人はもうご高齢でご自宅に持ち帰り飾る事も叶わず、
この子達も私の所でこれからも誰にも見られる事なく、国風賞クラスと言われながらも静かに日々を過ごしています。
昨年増設した羽生第三培養場も相変わらずの盆栽の数ですが、
写真のような名樹もあれば、名もなき素材樹もたくさんあります。 

最近この仕事も40年を過ぎた頃からは、
そのすべての樹々達に対して"同じ想い"を強く持つようになりました。
「私はこの子達を守る、この子達と共に生きる」
そんな気持ちが何よりも大切だと、口には表せない位の自分がいる事に気付きます。 
盆栽が私に教えてくれる事はキリがありません。
60になっても70になってもきっとそうだと思います。
「いのち」って何だろう?
と自問する自分に苦笑してしまいます。 


【鈴木伸二氏から15年の時を経て木村正彦先生へ】

真柏名樹として有名な「丹頂の舞」が私のもとへ来て15年の歳月が経っています。

幾度かの"鋏作り"を繰り返し、
全体として"面で捉える姿"となっている今を更なる樹相へ変貌させる為に、
名匠木村正彦先生に協力をお願いしました。
この樹が北の大地北海道に生きた頃、
山採りから盆栽界にもたらした本郷十郎先生、
石付きの姿から現在のまさに"丹頂鶴が折り佇む姿"に導いた鈴木伸二氏、
そして今回繁茂する枝姿を空間優美の施術で更なる品格へと昇華させた木村正彦先生。
名匠達がその技によって受け継ぐ名樹は、
羽生雨竹亭で新たな刻を過ごして行きます。


【北の大地でのレベルの高さに脱帽!】

北海道水石連合会の大水石展に伺った時、同じ札幌市民ギャラリーで開催されていた盆栽展!

初めて拝見した北海道の盆栽展でしたが、国風展出品作品や風情ある季節の盆栽など、
愛好家の皆さんのレベルの高さにびっくり(失礼いたしました)。
極寒の季節の管理や楽しみを考えるといかに盆栽がお好きで楽しまれているか、
頭が下がる思いでした。
展示スタイルも清潔感満点!
いいですね!
愛好家の心が会場全体に満ちていました!

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