雨竹 盆栽 水石 便り

盆栽歴49年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

カテゴリ: 盆栽


【日中奉納盆栽水石展@清水寺‼️】

大観展で賑わう京都、同期間に世界からの観光客が押し寄せる名所「清水寺」では、
日中平和条約締結45周年を記念して、中国大阪総領事館・春花園Bonsai美術館・そして清水寺が、共同主催して、
『日中奉納盆栽水石展』が、開催されました。

IMG_8316
世界遺産であり、“清水の舞台“の愛称で代表される清水寺を構成する数々の堂宇の中、
三重塔に隣接する経堂の内外に、春花園さんより、多くの名樹・大樹が運び込まれ、名建築と名樹達の競演が行われました❗️

朝6時から夜9時まで、清水坂・産寧坂は、車と人の波で、動きが取れないほど💦
大観展開催中の事もあり、私共エスキューブスタッフは、全員で朝6:30に坂を登り、展覧の場に向かいました❗️
十数年ぶりに訪れた同寺。

IMG_8317
朱色の堂宇が立ち並ぶ中の経堂、遠目からのその軒下を囲むように、盆栽達が、訪れる観光客の目を奪っていました。
来訪を歓迎して下さった小林國雄先生は、“ありがとう!でも疲れたよ💧“の一言。
この東山の上まで、しかも朝6時には押し寄せる人の波! 
いつも親しくしている春花園のスタッフの皆さんに尋ねれば、深夜不眠での飾付け、そして
5時には会場に入っての日々💦
それでも、一般の観光客の方々にはご遠慮して頂く、経堂の中に案内されて、立ち並ぶ仏像群と共に陳列された盆栽群・水石群を見て、“よくやられましたね“の言葉が出ました。

IMG_8315
やりたくても不可能な展示❗️
小林國雄先生はならではの快挙❗️

IMG_8314
一見単独挙行にみえるこの展覧。
しかし、真実はこの展覧の前に、私に
“多くの著名な方々に共にこの展覧を行いたい。京都国際文化振興財団・慶雲庵の田中会長にも京都での展覧、お誘いしてほしい“
と依頼されたのです。
結局、大観展との同時期開催の事もあって、やむなく辞退となりましたが、
たったひとりでこの展覧を遂行した小林國雄先生、盆栽界の国際化と言う観点から、本当にご苦労様でした!と感謝したいイベントでした❗️



【圧倒的な最高レベルの盆栽たち‼️】

大観展搬入~選考審査23日終了!
24日より開幕となり27日、無事閉幕しました。
内閣総理大臣賞の真柏名樹、もみじ「右近」の京都市長賞、
その他、数々の部門受賞の樹々など、日本の盆栽界の“今“をそのまま写し出した世界が、京都に集結しました❗️

IMG_8275
IMG_8274

本当の意味のコロナ明けの大観展❗️
予想通り、海外の方々の来場が目立った4日間となりました。

IMG_8278
IMG_8276

京都国際文化振興財団の企画展示も、正面の「上杉謙信の一位」・「伏見宮家旧蔵の宮様楓」・「徳川慶喜旧蔵の加茂川石」という
歴々の名品!の他、陶芸界の巨匠達が残した貴重な盆器の、物故作と現存作家の作、の両面展示と言う、財団らしいものでした。

国風展時の上野グリーン倶楽部の「立春盆栽大市」に匹敵する、館内併設の巨大売店ブース!
IMG_8280
今年は、水石組合による特設販売ブースが設けられ、
約300点に及ぶ、水石・水盤・卓・盆器を一堂に陳列販売するコーナーとなりました。

海外バイヤーの交渉が目立つ中、やはりこういうイベント会場は、来場される初級から大家まで、
幅広い愛好家に向けたアピールをしたいものと、日常の商売の在り方の“基本“を噛みしめる機会にもなるように思います。

IMG_8277
IMG_8273

出品下さった愛好家の皆様、展覧を楽しまれる一般の愛好家の方々、
初めて“本物“の盆栽の醍醐味をご覧になった人達、そしてこの展覧に関わる業界人のすべて。
其々の“想い“ 其々の“目的“ は、一様ではありませんが、この展覧が、何かの役に立つものであって欲しいと、心から願うばかりです。
事故なく閉幕まで進んだこと、とにかく感謝です🙏


先日、ある真柏が私の元へ帰って来ました。


独特の姿、盆栽であると同時に、何処か現代的な

モダンアートの雰囲気を持つこの樹は、

17年前(2006)には、銀座松屋で開催された、

『神々の造形・かみがみのかたち、盆栽その古典とモダン』展でも

多くの観賞される皆さんに、ある意味新しい盆栽提案するシンボルとなった思い出の樹です。


IMG_8217


この樹の作者は、熊谷宗一君。

名門「蔓青園」で修行の後、転がり込むように羽生の庭で

共に盆栽作りをした弟子のような存在の若者でした。

何処か野放図で、いつもニコニコしながら過ごした彼。

組織の中には居られないタイプだったと思います!

お客様に喜んで頂く盆栽を守り作るのが、私達プロの仕事。

自由人の彼には、もっと別のやりたい盆栽・創りたい盆栽

心の中にあったようです。


ある日、ひとつだけ、自分の好きに作ってもいいですかと、

私に尋ねてきました。

私は、色々な事に挑戦するのは嫌いではなかったので、

生きているもの、樹にダメージを与える事はダメという

条件を与えて、彼の好きにさせました。

勿論、出来上がる過程も、選んだ素材も一切見ぬようにして、

心の中で、やり過ぎたら諌めようと思っていました。

1週間後、彼はこの真柏を創り上げました。


IMG_8215


衝撃的でした。

陶芸作品のような短冊の変わり足の鉢、

目立たなかった、ありふれた真柏に、枯れてしまってあった

舎利を造形的に組み合わせて、ひとつの樹に見立てていました。

盆栽界では、そのように付け舎利で樹をみせるものを

タヌキと言って嘲笑し、その市場価値も当時は殆ど認められません。

それでも、そこに出来上がった彼の作品は、まさに熊谷宗一と言う

盆栽が好きで好きでしょうがない、言う事を聞かない若者が、

自分の感性の求めるままに、その手で生み出したBonsaiでした。

プロ同士の市場価値と言う価値観が、どうしても頭にある私達。

この樹は、彼は、作品と言う目の前にある真実で、見方を変えれば

広がるアートとしての盆栽の在り方を教えてくれたように思います。


3・11東日本大震災が、彼の人生を奪いました。

自分で好きな盆栽を創りたい“  その希望で彼が北茨城の地に

住まいも手作りの作場(培養場)に移って間もない頃でした。

元々、若い頃にも、軽い脳梗塞を患っていた彼。

天真爛漫に見える外見とは裏腹に、創り上げる盆栽と同じく、

繊細で脆い心なのは知っていました。

看護師として、被災の方々の為に日夜を問わずに働く彼の奥さん。

震災から彼は体調を崩して、強い余震と元々掘立小屋のような住まいの

危うさもあって、奥さんが夜勤の時など、庭の車の中で寝泊まりしていたのです。

羽生も世の中も、ガソリンを買うにも朝5時から並んでいたある日、

奥さんから宗一が亡くなりましたの電話。

なぜ?どうして?”    震災による精神的ダメージが車中泊の彼に

自身が持っていた持病で、突発的な脳梗塞を呼んでしまったのです。

奥さんが、帰宅後車の中の彼を見つけた時は、

彼はもう冷たくなっていました。


以来、盆栽作家、熊谷宗一君の作品『真柏』は、

いつも羽生の庭で私達を日々見守っていました。

この樹はいくらですか“ 何十回、訪れる方々に声をかけて頂いたでしょうか! 

その度にこの樹は弟子の形見なので売り物ではありません

これが決まり文句でした。

それがある日、盆栽界でも屈指と言われる程になっていた、

羽生のプロオークション「天地会」に、福井県の方が

お得意様と見学しても良いですかと遠路来られました。

オークション後、その方が、お客様がどうしてもこの樹が

欲しいと言うので、お願い出来ませんかと懇願されました。

いつものようなお返事を繰り返しましたが、何度言っても

食い下がられてきます!

見ればもう80歳近い方、その時ふと思いました。

熊谷君の奥さんも、三回忌の後、再婚されて故郷の京都に戻った事を。

どうしてもと仰るなら私の言い値で良ければ譲ります、但し、

これは、会社のものではありません。私のものです。

弟子の形見、愛好家である貴方様が楽しまれた後手放す時は、

私に返して下さい。それが約束いただけるなら結構です

そばにちゃんとした盆栽界のプロが付いてきている中の出来事。

心の中で、半分のお金を京都に届けてあげよう!

半分は会社にあげればいいそう思っての事でした。


結局このお話を受けて形見は福井県に行きました。

その年の京都『日本盆栽大観展』で、熊谷君の奥さんと待ち合わせて、半金を渡しました。

会長の樹、私が貰えるものではありませんと彼女は

頑なに拒みましたが、クマの位牌に供えてくれればいいから

無理やり手渡しました。


以来10年の月日が流れた今年10月、何とこの樹が、羽生天地会に、三重県の友人のプロが出品で持ち込みました!  

!!!どうして?“  目を疑いました。

聞けば件のご老体が事情で手放されるにあたって、却ってこちらに気を遣って、

出入り方に放出してしまったそうです。 

悪意は無いにしても、

ひとこと連絡してくれれば良いのに!と思いましたが、見れば、

クマが上手に合わせた鉢は、雪国の低温で数年で傷んでしまって、行山先生の鉢に植え替えられていました。

行山だから前より高いよと友人は

事もなげに言いましたが、

あいつが合わせたあの鉢が大切なんだよ!

心の中で言うに留めました。


こうして10年ぶりに姿を変えて故郷羽生に戻った、クマの真柏。

同じ鉢は無いにしても、彼が描いた姿へ少しでも戻そうと、手入れ、

鉢合わせ、植え替えを施しました。

お帰りなさい、もう二度とそばから離れるなよ“ そんな言葉をかけました。


IMG_8216


今この樹は、私の第二の故郷となった、

京都大徳寺芳春院盆栽庭園に飾ってあります。


IMG_8218


羽生はお客様が、盆栽を求めていらっしゃる盆栽園。

また、幾度もこれは売り物ではありませんを言い続ける日々!

芳春院は販売庭園ではありません。

禅庭と盆栽が融合した、日本唯一の庭園、

この樹はここが一番相応しい!クマも喜ぶ!

私もこの芳春院盆栽庭園にいる時は、日々の糧に駆け回る自分ではなく、

15歳で盆栽に憧れてこの道に入った少年のような気持ちが甦ります❗️

さあ!ここから次の世界を一緒に過ごそう!クマ‼️


12月に上野グリーン倶楽部で開催される「第49回・日本盆栽作風展」に、
この雨竹亭から巣立った盆栽家と現役のスタッフ達が出品に挑戦して、各樹共にそれぞれ受賞の評価を頂きました❗️

IMG_8105

10年の羽生、1年の辛苦の中国、今は奥さんとお父さんと故郷宮城県多賀城市で、お客様の手入れを中心にした活動をしています加藤くん。
東北人らしい“朴訥“とした性格。
福島の著名愛好家の舩山様の所では、いつも手入れを手伝ってもらっています。

今回、舩山様のご厚意で、彼が長年手入れを続けてきた蔵樹を出品させて頂きました。

IMG_8106
“本物の吾妻五葉松の古樹“として、プロ達も夙に知る名樹。
作風展と言えば真柏を中心とした、“表裏逆転“や、素材を大きく変える姿にどうしても注目が集まりがちですが、
多くの盆栽家達が、その樹の持つ“個性と味わい“を損なう事なく、
年々と愛培を重ねてこそ醸し出る“老樹の姿“を“作り過ぎずに培養する“ 事も、
立派なその盆栽家の“作風“では無いでしょうか!

中身の濃い樹と言う評価で、この樹も“委員会賞“を頂きました。
舩山様ごとく、“一所懸命手入れをしてくれる方々、少しでも若い皆さんの為になるなら“と、愛樹の出品を快諾して下さいました。 

IMG_8107
小店副社長、島田君も、同じく手入れのお手伝いをしている愛好家の方より、
岩しでの古樹をお預かりして、同じく委員会賞となりました。

IMG_8104
スタッフの近藤君は、数年前より、先の舩山様より“この子に1本樹を預けてくれませんか?“とお願いして、
五葉松の根上がり盆栽を、整姿・針金・植替え・鉢合わせ、そして何よりも大切な“時間をかけた落ち着き“を培養で仕上げました。
結果、新鋭作家部門で、初挑戦での“銀賞“❗️
よく頑張りました。

盆栽家、将来に夢を持つ若い面々は、作風展などに出品したくても、その素材を自分のものとして長く持ち続けるには、資金力が足りないものです。
資産家や盆栽園の二代目など、恵まれた環境の者ばかりではありません。
今回のように愛好家の方々が、見守って協力してくださる事で、成り立つものです。
さて、3人とも来年への心構えが大変です💦
ガンバレ❗️ヒヨコ達‼️


コロナ禍の前年秋、木村先生達一行と中国真柏山採りの現地視察に出向いて以来、

その後のコロナ禍もあって、4年と言う時間を海外に出かけませんでした。

雨竹亭オリジナルの盆器も在庫が底を付きはじめ、その制作現場との打合せもあって、久しぶりの訪中となりました。


まずは私の中国とのを開けてくれ、木村先生と共に日本で3年間見守った若者2人、郝(ハオ)君と、趙(ツァオ) 君を、

手軽な盆栽の商売人にはならずに、真の盆栽家となるよう、屋敷内に住まわせて下さる、王永康先生の所へ伺いました。

70歳を超えて今なお、中国盆栽界の良心として多くの後輩に慕われる王先生。


IMG_8040


伺った時も、黒松の逸材中の逸材を、友人の台湾名匠と見事な改作をされていました!

2万坪の庭内❗️

数えきれない程の真柏・黒松・五葉松の将来性高い所蔵樹達。

“4年経てば、日本の皆さんにも高い評価をしてもらえる樹になればと、

樹の将来を見据えた捉え方は、私達日本の盆栽業も見習わなければと、痛感しました。


もう一つ、11月に京都で開催される、43回日本盆栽大観展の世界から3名選ばれた、

海外審査委員として、アジア地域を代表する、常熟市の張小寶会長への表敬と、大観展審査委員の招聘状のお届けです。

愛好家として、人徳者として、中国盆栽界の頂点に立つ張会長。

その盆栽コレクションは、4年ぶりに見ても、圧倒的な名樹群❗️


IMG_8039


しかも、日々スタッフの方々への指示で、満点と言える管理状態と樹造り❗️

自身に関わるすべての人達に対する、真摯な思いやり。


IMG_8038


国を超えても、社会制度が違っても、盆栽を愛する人達のは、ひとつの願いの中にある事を感じました。

社会やそこに暮らす人達が安寧で幸福であることです。

何十回も訪れて来た中国ですが、こうして長い期間を経ても、多くの事を教えて頂いたように思います。

さて、明日からは、盆器の旅の始まりです❗️

↑このページのトップヘ