カテゴリ: 雨竹亭
『春の観賞会』
終わり無き 春の手入れ
【1000本の盆栽達 ‼︎】
海外約200点・国内 約100点・愛好家の方々の名木の手入れ・植替え に3月下旬から4月は
「腰に道具」の毎日でした。
海外約200点・国内 約100点・愛好家の方々の名木の手入れ・植替え に3月下旬から4月は
「腰に道具」の毎日でした。
26日からは 羽生雨竹亭「春の観賞会」も有り、この1週間は園内の植替えに手入れ班みんなで追われています。
年間で約1000~1500点の盆栽が動く雨竹亭。
昨年手入れや植替えを済ませた盆栽の殆どが販売されて、新たにこの庭に来た樹達をまた手入れ・・!
つまり 全体の強い芽先を透かし切りして、中側の芽が弱らない様にする手入れ。
頭部の仕上げを「枝吊り」したりで、1日かけて何とか仕上げました。
他にも 国風賞4度受賞の大家、小泉薫先生の旧蔵 もみじ『清玄』。
他にも 国風賞4度受賞の大家、小泉薫先生の旧蔵 もみじ『清玄』。
2年前 譲り受けた時、衰弱していて、木箱植えしたのが良かったのか、樹勢が回復したので、
樹に力を付ける為に伸ばしていた「捨て枝」を払い、往時の姿に戻す作業に入りました。
“この樹は こうしてあげよう、あの樹は鉢映りを替えよう”等々、棚場を歩けば 際限のない仕事の山。
“この樹は こうしてあげよう、あの樹は鉢映りを替えよう”等々、棚場を歩けば 際限のない仕事の山。
雑木は既に季節が過ぎ、五葉松があと僅かの期間、そこから真柏・黒松・赤松・杜松 と続き、
サツキから椿類へ、6月まで 盆栽との対話は続きます。
日々伸びてくる新芽の芽摘みを毎朝して、水かけ、そこからその日の手入れ。
日々伸びてくる新芽の芽摘みを毎朝して、水かけ、そこからその日の手入れ。
でも、好きな仕事。
有難い毎日です。
60歳・社員達が贈ってくれた グランドセイコー!
【盆栽と共に 人生を刻む 宝物】
3月20日・盆栽だけが取り柄の人生が、60年の節目を迎えた。
日々慌しい生活の中、スタッフ達より 思いもかけぬ贈り物を貰った。
『グランドセイコー』元来 着る物や身に付ける物には、余り気にしないというより、ほぼ無頓着な方だが、
クラスとしては同じグランドセイコーの中でも安価な方だが、私には丁度いい。
何よりも、薄給のスタッフ達が、浄財を出しあって この手に届けてくれたもの。
普段は盆栽の手入れでズタズタになるので、アルバという3000円の2~3年は壊れない物をしている。
若き頃より 盆栽関係で愛好家の方々の所に出入りして、多くの品格ある旦那さん達が、車はトヨタのクラウンに乗り、
時計はセイコーの上等なものをされている方が多かった。
「森前、見かけで着飾るような男になるな、良き物を目立たず身に付ける事が肝要」
「森前、見かけで着飾るような男になるな、良き物を目立たず身に付ける事が肝要」
と、よく聞かされた。
当時は若く、そう言ってくれた古老の心まで汲み取れなかった。
そして銀座の店を開いて、“唯我独尊”の様な、よく言えば遮二無二、悪く見れば好き勝手にわがままし放題の日々も過ごした。
そしてそれが 如何に意味の無い浅はかな姿だったかは、派手な銀座の仕事に躓き、
奈落の底へ落ちた時、初めて気がついた。“人は静かな本物こそが素晴らしいのだと”。
そして盆栽も、展示会で賞を取るような名木だけではなく、ひっそりと生き続けている細き老木にも深い美が沈潜していることが、
そして盆栽も、展示会で賞を取るような名木だけではなく、ひっそりと生き続けている細き老木にも深い美が沈潜していることが、
無一文となった時、何気ないと思っていた樹々から感じた。
そこから12年。
そこから12年。
自分には盆栽・水石・だけが、人の世で生きる意味のあるもの、と気付き
多くの人達に支えられ、助けられ、導かれて この歳になった。
私の様な者が、よくこの歳まで 同じ道を歩いてきたものだと、つくづく思う。
羽生の地に 根を下ろして 十数人のスタッフと共に、あくせくとした生活には変わりがないが、
私の様な者が、よくこの歳まで 同じ道を歩いてきたものだと、つくづく思う。
羽生の地に 根を下ろして 十数人のスタッフと共に、あくせくとした生活には変わりがないが、
若きあの頃、歳を取ったら 日本人としての品格を持った自分でありたいと願う姿のひとつとして、
『車はクラウン(今は レクサス?)時計はセイコー』、車は数年前、お客様より拝領したセルシオ
(結局5万キロで乗り始めて、20万キロで下取りに出した)から、社用車としてレクサスとなった。
そして 誕生日に このグランドセイコーが 左腕に届いた。
クラスとしては同じグランドセイコーの中でも安価な方だが、私には丁度いい。
何よりも、薄給のスタッフ達が、浄財を出しあって この手に届けてくれたもの。
普段は盆栽の手入れでズタズタになるので、アルバという3000円の2~3年は壊れない物をしている。
この贈り物は、大切な刻、大切な人、大切な場所、そんな時にしていようと思う。
樹と共にここからの自分がどうあるべきか?大切な大切な この贈り物と歩いて行きたいと思う。
ありがとう、みんな。
ありがとう、盆栽人生。
清明の春
【朧月に枝垂れ桜の盆栽飾り!】
平成最後の桜、雨竹亭 盆栽飾りの“定番”とも言える 枝垂れ桜も満開の時となりました。
麗らかな春を告げる「清明」の節気。
平成最後の桜、雨竹亭 盆栽飾りの“定番”とも言える 枝垂れ桜も満開の時となりました。
麗らかな春を告げる「清明」の節気。
名筆 森公挙 の 朧月にかかる 一重咲きの枝垂れ桜は、美しくも儚さを秘めた、
日本人の心情を表した「もののあわれ」の美を感じさせてくれます。
中国広州登り窯で 誂えた 均釉の鉢・脇床の深山の雪解け水を見せる渓流石。
潤湿な日本の季節が席中に満ち溢れています。
日本人は 何故儚く、いずれ消えゆく姿に 深い美を感じるのでしょうか?
永遠でないひとときの移ろい。
自然と言う何ものにも代え難い 自分を取り巻くものと、刻と言う至高の価値。
私は盆栽や水石に、日本人が心の原風景に持つ 美意識が潜在していると思っています。
いつかは、その命題とも言える “盆栽とは何か?水石とは何か?己とは何か?”を、拙文に残す機会を得たいと願っています。
私は盆栽や水石に、日本人が心の原風景に持つ 美意識が潜在していると思っています。
いつかは、その命題とも言える “盆栽とは何か?水石とは何か?己とは何か?”を、拙文に残す機会を得たいと願っています。
勿論 未熟な還暦、ここからの“先”に見えるものを日々有りのままに受け入れながら、
まだまだ この旅路を続けなければ かけないとわかっていますが!
(この ブログも、実は羽生から出かける前に“咲いたらこう飾って”と、指示して撮影してもらった写真を見ながら書いています!こんな事じゃ、当分 ダメですね!)