雨竹 盆栽 水石 便り

盆栽歴49年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”

カテゴリ: 日常


先日、ある真柏が私の元へ帰って来ました。


独特の姿、盆栽であると同時に、何処か現代的な

モダンアートの雰囲気を持つこの樹は、

17年前(2006)には、銀座松屋で開催された、

『神々の造形・かみがみのかたち、盆栽その古典とモダン』展でも

多くの観賞される皆さんに、ある意味新しい盆栽提案するシンボルとなった思い出の樹です。


IMG_8217


この樹の作者は、熊谷宗一君。

名門「蔓青園」で修行の後、転がり込むように羽生の庭で

共に盆栽作りをした弟子のような存在の若者でした。

何処か野放図で、いつもニコニコしながら過ごした彼。

組織の中には居られないタイプだったと思います!

お客様に喜んで頂く盆栽を守り作るのが、私達プロの仕事。

自由人の彼には、もっと別のやりたい盆栽・創りたい盆栽

心の中にあったようです。


ある日、ひとつだけ、自分の好きに作ってもいいですかと、

私に尋ねてきました。

私は、色々な事に挑戦するのは嫌いではなかったので、

生きているもの、樹にダメージを与える事はダメという

条件を与えて、彼の好きにさせました。

勿論、出来上がる過程も、選んだ素材も一切見ぬようにして、

心の中で、やり過ぎたら諌めようと思っていました。

1週間後、彼はこの真柏を創り上げました。


IMG_8215


衝撃的でした。

陶芸作品のような短冊の変わり足の鉢、

目立たなかった、ありふれた真柏に、枯れてしまってあった

舎利を造形的に組み合わせて、ひとつの樹に見立てていました。

盆栽界では、そのように付け舎利で樹をみせるものを

タヌキと言って嘲笑し、その市場価値も当時は殆ど認められません。

それでも、そこに出来上がった彼の作品は、まさに熊谷宗一と言う

盆栽が好きで好きでしょうがない、言う事を聞かない若者が、

自分の感性の求めるままに、その手で生み出したBonsaiでした。

プロ同士の市場価値と言う価値観が、どうしても頭にある私達。

この樹は、彼は、作品と言う目の前にある真実で、見方を変えれば

広がるアートとしての盆栽の在り方を教えてくれたように思います。


3・11東日本大震災が、彼の人生を奪いました。

自分で好きな盆栽を創りたい“  その希望で彼が北茨城の地に

住まいも手作りの作場(培養場)に移って間もない頃でした。

元々、若い頃にも、軽い脳梗塞を患っていた彼。

天真爛漫に見える外見とは裏腹に、創り上げる盆栽と同じく、

繊細で脆い心なのは知っていました。

看護師として、被災の方々の為に日夜を問わずに働く彼の奥さん。

震災から彼は体調を崩して、強い余震と元々掘立小屋のような住まいの

危うさもあって、奥さんが夜勤の時など、庭の車の中で寝泊まりしていたのです。

羽生も世の中も、ガソリンを買うにも朝5時から並んでいたある日、

奥さんから宗一が亡くなりましたの電話。

なぜ?どうして?”    震災による精神的ダメージが車中泊の彼に

自身が持っていた持病で、突発的な脳梗塞を呼んでしまったのです。

奥さんが、帰宅後車の中の彼を見つけた時は、

彼はもう冷たくなっていました。


以来、盆栽作家、熊谷宗一君の作品『真柏』は、

いつも羽生の庭で私達を日々見守っていました。

この樹はいくらですか“ 何十回、訪れる方々に声をかけて頂いたでしょうか! 

その度にこの樹は弟子の形見なので売り物ではありません

これが決まり文句でした。

それがある日、盆栽界でも屈指と言われる程になっていた、

羽生のプロオークション「天地会」に、福井県の方が

お得意様と見学しても良いですかと遠路来られました。

オークション後、その方が、お客様がどうしてもこの樹が

欲しいと言うので、お願い出来ませんかと懇願されました。

いつものようなお返事を繰り返しましたが、何度言っても

食い下がられてきます!

見ればもう80歳近い方、その時ふと思いました。

熊谷君の奥さんも、三回忌の後、再婚されて故郷の京都に戻った事を。

どうしてもと仰るなら私の言い値で良ければ譲ります、但し、

これは、会社のものではありません。私のものです。

弟子の形見、愛好家である貴方様が楽しまれた後手放す時は、

私に返して下さい。それが約束いただけるなら結構です

そばにちゃんとした盆栽界のプロが付いてきている中の出来事。

心の中で、半分のお金を京都に届けてあげよう!

半分は会社にあげればいいそう思っての事でした。


結局このお話を受けて形見は福井県に行きました。

その年の京都『日本盆栽大観展』で、熊谷君の奥さんと待ち合わせて、半金を渡しました。

会長の樹、私が貰えるものではありませんと彼女は

頑なに拒みましたが、クマの位牌に供えてくれればいいから

無理やり手渡しました。


以来10年の月日が流れた今年10月、何とこの樹が、羽生天地会に、三重県の友人のプロが出品で持ち込みました!  

!!!どうして?“  目を疑いました。

聞けば件のご老体が事情で手放されるにあたって、却ってこちらに気を遣って、

出入り方に放出してしまったそうです。 

悪意は無いにしても、

ひとこと連絡してくれれば良いのに!と思いましたが、見れば、

クマが上手に合わせた鉢は、雪国の低温で数年で傷んでしまって、行山先生の鉢に植え替えられていました。

行山だから前より高いよと友人は

事もなげに言いましたが、

あいつが合わせたあの鉢が大切なんだよ!

心の中で言うに留めました。


こうして10年ぶりに姿を変えて故郷羽生に戻った、クマの真柏。

同じ鉢は無いにしても、彼が描いた姿へ少しでも戻そうと、手入れ、

鉢合わせ、植え替えを施しました。

お帰りなさい、もう二度とそばから離れるなよ“ そんな言葉をかけました。


IMG_8216


今この樹は、私の第二の故郷となった、

京都大徳寺芳春院盆栽庭園に飾ってあります。


IMG_8218


羽生はお客様が、盆栽を求めていらっしゃる盆栽園。

また、幾度もこれは売り物ではありませんを言い続ける日々!

芳春院は販売庭園ではありません。

禅庭と盆栽が融合した、日本唯一の庭園、

この樹はここが一番相応しい!クマも喜ぶ!

私もこの芳春院盆栽庭園にいる時は、日々の糧に駆け回る自分ではなく、

15歳で盆栽に憧れてこの道に入った少年のような気持ちが甦ります❗️

さあ!ここから次の世界を一緒に過ごそう!クマ‼️


長野県須坂市、真柏の名園「井浦勝樹園」井浦貴史氏が、
先日の日本盆栽作風展選考会において、映えある内閣総理大臣賞を受賞されました。
作品は国内真柏名樹の中でも、秀でた名品として名高い「風神」! 

IMG_7901
十数年前、まだ三十代前半だった氏が、“涙の無冠“を味わった樹。
“捲土重来“ 以来栄冠を夢見て作出の日々を続けた樹です。

私は井浦氏の先代より、二十数年前、真柏逸材を数多く譲り受け、
山採りの真柏と言うものの素晴らしさを体感させて頂いた思い出が蘇ります。

この名樹「風神」先代が艱難辛苦の末に、長野へ運んだ井浦家の“宝“  幾度も譲渡の話があり、
私の所にも“仲介をしてほしい“と、何度も交渉願いの相談がありました。

家が建つほどの金額!
それでも彼は譲ることなく、“家族の生活が成り立たなくなったら“と、自園に残されました。
若き頃の作風展での屈辱💧
天界に散った亡き先代への想い、彼の心の内を想えば、今回の受賞は唯々拍手を贈りたいです。

IMG_7902
井浦家はここからも圧倒的な真柏の作出を続けるでしょう。
空に向かって先代に伝えたいです。
“お父さん!貴史さんが見事に果たしましたよ❗️“と。


秋本番となり、盆栽業界の流通市場も、活発な動きになり始めました!

10/7の羽生本店開催の「天地会」も、総額6,000万の出来高。

10/10ここ日本盆栽協同組合本部での「水曜会大会」も、各地よりの出品樹で埋め尽くされています。


IMG_7850


今秋の全体の動向をみると、大型名樹の市場出品は皆無に近く、やはり愛好家と出入り方の盆栽園での取引で、名品は動いてしまっています。

市場は、海外勢の買付け動向に左右されがちですが、圧倒的な力を魅せていた中国の勢いも若干弱まり、

その一方で、アジア(ベトナム・タイなど)が驚くほどの力を付けて買付けに来ています。ヨーロッパの動きも活発になって来ました。

それでも、国内は、どちらかと言えば売り気配が覆っています💦

中央の市場でも、中品サイズ、真柏や黒松、そして雑木類、が中心です。


IMG_7851


日本の盆栽業界ではありますが、どうしても海外からの買付け動向に左右されがちな昨今💧

次の時代を考えれば、ここからの業界の向かう方向性を謳いあげる時が近づいていると思います。

過去の愛好家の方々、諸先輩の盆栽園の方々、この人達が、損得ではなく、

唯々盆栽を愛している事で作り上げてきた盆栽達も、海外を含めて徐々に枯渇していきます。

修行時代の言葉を思い出します。

「プロは種や若木から作れ」

この意味をもう一度再考する刻が足元に来ているように思います。

過去が作ってくれた樹達を大切に、次の時代の名木を夢見て汗を惜しまず・・。


羽生の地に、この雨竹亭を構えて、20年の刻が経ちました。
駐車場や応接庭園に植えた若木の桜達、毎年満開の美しい花を私達に楽しませてくれていました。

IMG_7711
「首赤ツヤカミキリムシ」外来種のこの害虫が、染井吉野桜を中心に猛威を奮って、大切な樹々を立枯れまで痛めてしまいました💧
関東平野北部一帯、この害虫による染井吉野桜の被害が急拡大した夏💦 
近隣は勿論のこと、園内の雑木盆栽への波及を考えて、“断腸の想い“で、全樹の伐採を決めました。

IMG_7712
今でこそ、羽生雨竹亭を多くの愛好家の方々、日本全国の盆栽園の仲間達が、周知してくれていますが、
資金もなく、細い桜達をこの手で植えた頃を思い出します。

雨竹亭の成長と共に大きく太くなっていった桜達。
いつも“そこにある“事が当たり前だった樹達が切り落とされて、何もなくなった景色は、
言葉に表せないものが胸を締め付けます💧
満開の花姿、葉桜の姿、未だ来ぬ春の中、枝先に蕾を見せてくれたあの頃、いつも見守ってきてくれて、ありがとう❗️
あなた達の美しさと強さは、いつまでも心の中で咲き誇っています(涙)


【越後、90歳の老盆栽家の生き方❗️】

コロナ禍を挟んで4年ぶりに、新潟燕市に住む、盆栽古老の所にご機嫌伺いに寄りました。
15年来のお付き合い、商売をした訳でもないのに、古老の生き方、盆栽に対する想い、に心を打たれて、
“何か喜んでもらえる事を“と思って、老が半世紀をかけて愛培した盆栽を一作は国風展、
もう一作は大観展、“生涯の思い出になった“と喜んでもらって長い時が経ちました。

IMG_7658
90歳を迎えた老は、ビックリするほどの元気さ!
"今年はホントに暑かったから、朝夕を選んで、棚場の置き直しをしたよ"の声に、もう一度ビックリ❗️

IMG_7657
お茶を頂く壁に、老が筆でしたためた『身が朽ちて皮となりしもおとろいず、益々さかん老梅の花』の句🙇‍♂️
夜明けに自宅から程近いこの盆栽専門の庭と言うよりは“盆栽の庵“   、
ここでお茶を飲んでの午前のひと時、適度な手入れや水やりをしてから自宅で朝食、またここへ戻って盆栽三昧!

昼過ぎは、体調によってここへ戻ったり、自宅でノンビリしたり。
こんな日々を30有余年💧

IMG_7659
“もうひと花咲けたら冥土の土産は本望だね“の言葉。
さて、それではその“もうひと花“をお手伝いしてみようと思う1日でした❗️

↑このページのトップヘ