先日、ある真柏が私の元へ帰って来ました。


独特の姿、盆栽であると同時に、何処か現代的な

モダンアートの雰囲気を持つこの樹は、

17年前(2006)には、銀座松屋で開催された、

『神々の造形・かみがみのかたち、盆栽その古典とモダン』展でも

多くの観賞される皆さんに、ある意味新しい盆栽提案するシンボルとなった思い出の樹です。


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この樹の作者は、熊谷宗一君。

名門「蔓青園」で修行の後、転がり込むように羽生の庭で

共に盆栽作りをした弟子のような存在の若者でした。

何処か野放図で、いつもニコニコしながら過ごした彼。

組織の中には居られないタイプだったと思います!

お客様に喜んで頂く盆栽を守り作るのが、私達プロの仕事。

自由人の彼には、もっと別のやりたい盆栽・創りたい盆栽

心の中にあったようです。


ある日、ひとつだけ、自分の好きに作ってもいいですかと、

私に尋ねてきました。

私は、色々な事に挑戦するのは嫌いではなかったので、

生きているもの、樹にダメージを与える事はダメという

条件を与えて、彼の好きにさせました。

勿論、出来上がる過程も、選んだ素材も一切見ぬようにして、

心の中で、やり過ぎたら諌めようと思っていました。

1週間後、彼はこの真柏を創り上げました。


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衝撃的でした。

陶芸作品のような短冊の変わり足の鉢、

目立たなかった、ありふれた真柏に、枯れてしまってあった

舎利を造形的に組み合わせて、ひとつの樹に見立てていました。

盆栽界では、そのように付け舎利で樹をみせるものを

タヌキと言って嘲笑し、その市場価値も当時は殆ど認められません。

それでも、そこに出来上がった彼の作品は、まさに熊谷宗一と言う

盆栽が好きで好きでしょうがない、言う事を聞かない若者が、

自分の感性の求めるままに、その手で生み出したBonsaiでした。

プロ同士の市場価値と言う価値観が、どうしても頭にある私達。

この樹は、彼は、作品と言う目の前にある真実で、見方を変えれば

広がるアートとしての盆栽の在り方を教えてくれたように思います。


3・11東日本大震災が、彼の人生を奪いました。

自分で好きな盆栽を創りたい“  その希望で彼が北茨城の地に

住まいも手作りの作場(培養場)に移って間もない頃でした。

元々、若い頃にも、軽い脳梗塞を患っていた彼。

天真爛漫に見える外見とは裏腹に、創り上げる盆栽と同じく、

繊細で脆い心なのは知っていました。

看護師として、被災の方々の為に日夜を問わずに働く彼の奥さん。

震災から彼は体調を崩して、強い余震と元々掘立小屋のような住まいの

危うさもあって、奥さんが夜勤の時など、庭の車の中で寝泊まりしていたのです。

羽生も世の中も、ガソリンを買うにも朝5時から並んでいたある日、

奥さんから宗一が亡くなりましたの電話。

なぜ?どうして?”    震災による精神的ダメージが車中泊の彼に

自身が持っていた持病で、突発的な脳梗塞を呼んでしまったのです。

奥さんが、帰宅後車の中の彼を見つけた時は、

彼はもう冷たくなっていました。


以来、盆栽作家、熊谷宗一君の作品『真柏』は、

いつも羽生の庭で私達を日々見守っていました。

この樹はいくらですか“ 何十回、訪れる方々に声をかけて頂いたでしょうか! 

その度にこの樹は弟子の形見なので売り物ではありません

これが決まり文句でした。

それがある日、盆栽界でも屈指と言われる程になっていた、

羽生のプロオークション「天地会」に、福井県の方が

お得意様と見学しても良いですかと遠路来られました。

オークション後、その方が、お客様がどうしてもこの樹が

欲しいと言うので、お願い出来ませんかと懇願されました。

いつものようなお返事を繰り返しましたが、何度言っても

食い下がられてきます!

見ればもう80歳近い方、その時ふと思いました。

熊谷君の奥さんも、三回忌の後、再婚されて故郷の京都に戻った事を。

どうしてもと仰るなら私の言い値で良ければ譲ります、但し、

これは、会社のものではありません。私のものです。

弟子の形見、愛好家である貴方様が楽しまれた後手放す時は、

私に返して下さい。それが約束いただけるなら結構です

そばにちゃんとした盆栽界のプロが付いてきている中の出来事。

心の中で、半分のお金を京都に届けてあげよう!

半分は会社にあげればいいそう思っての事でした。


結局このお話を受けて形見は福井県に行きました。

その年の京都『日本盆栽大観展』で、熊谷君の奥さんと待ち合わせて、半金を渡しました。

会長の樹、私が貰えるものではありませんと彼女は

頑なに拒みましたが、クマの位牌に供えてくれればいいから

無理やり手渡しました。


以来10年の月日が流れた今年10月、何とこの樹が、羽生天地会に、三重県の友人のプロが出品で持ち込みました!  

!!!どうして?“  目を疑いました。

聞けば件のご老体が事情で手放されるにあたって、却ってこちらに気を遣って、

出入り方に放出してしまったそうです。 

悪意は無いにしても、

ひとこと連絡してくれれば良いのに!と思いましたが、見れば、

クマが上手に合わせた鉢は、雪国の低温で数年で傷んでしまって、行山先生の鉢に植え替えられていました。

行山だから前より高いよと友人は

事もなげに言いましたが、

あいつが合わせたあの鉢が大切なんだよ!

心の中で言うに留めました。


こうして10年ぶりに姿を変えて故郷羽生に戻った、クマの真柏。

同じ鉢は無いにしても、彼が描いた姿へ少しでも戻そうと、手入れ、

鉢合わせ、植え替えを施しました。

お帰りなさい、もう二度とそばから離れるなよ“ そんな言葉をかけました。


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今この樹は、私の第二の故郷となった、

京都大徳寺芳春院盆栽庭園に飾ってあります。


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羽生はお客様が、盆栽を求めていらっしゃる盆栽園。

また、幾度もこれは売り物ではありませんを言い続ける日々!

芳春院は販売庭園ではありません。

禅庭と盆栽が融合した、日本唯一の庭園、

この樹はここが一番相応しい!クマも喜ぶ!

私もこの芳春院盆栽庭園にいる時は、日々の糧に駆け回る自分ではなく、

15歳で盆栽に憧れてこの道に入った少年のような気持ちが甦ります❗️

さあ!ここから次の世界を一緒に過ごそう!クマ‼️