間もなく“盆栽界の祭典“と言える国風盆栽展の季節になります。
修行時代から数えて50年近い盆栽歴、国風展はいつもその年の業界の頂上とされる展覧です。

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十代の頃、国風展の会場管理(水掛け等)で、緊張しながら
真柏名樹「昇天の龍」の隣に半日じっと監視員として立っていた頃が懐かしく思い出されます。

当時の国風展は盆栽界の隆盛期もあって、100点以上の作品が、選考で落選となる事多く、
修行先でもお客様の国風当落で一喜一憂した事が昨日のようです。

現在は盆栽協会の会員数も半減して、出品応募も昔の半分!
それでも選考審査で出品枠を超える席数部分は落選の憂き目にあいます。
愛好家の皆さんは、どれもが丹精と愛情を込めた盆栽達。
誰もがどれもが、入選して飾ってあげたいのは、業とする私達の変わらぬ想いです。

先日も、海外の出品選考申込みをされた愛好家から“私の樹は賞がつくか?“と言われ、

“国風展は日本盆栽界の祭典、入選することが望みで、賞というものはありません。
しかし、
その中で特に優れたものだけ、国風賞と言う栄誉が与えられるのです“
と答えました。

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最近は国風展も多くの出品を受け入れる為に、前期後期の二部制になり、それに伴い、
国風賞も複数(実際には前後期で5~6点)受賞するようになりました。
愛好家の皆さんが、国風賞受賞となれば、お喜びになる事は当然です。
扱い業者としても鼻の高い気持ちはあります。
ただ、最近は年をとったせいか、昔の事を思い出します。
盆栽倶楽部(現在の上野グリーン倶楽部)で売店の設営準備をしている中、美術館での国風賞の結果が急ぎ知らされた時です。
“今年は該当樹無し!“  この記憶は今も忘れません。

どれもが立派で素晴らしい盆栽達、その中で頂点と言える樹を選ぶ事は難しいと思います。

今は亡き大宮盆栽村の草創期の尽力者、九霞園初代、村田久造先生の老成された時の言葉が思い出されます。
「森前君、私のように年をとると、どんな樹を観てもみんな素晴らしく見えてしまうのだよ。盆栽にはひとつひとつの“貌・かお“があるからね」
近年、国風賞をとることに目標を持たれる方と業者が多くなったと思います。
勿論、作品が高い評価を得る事は嬉しいものですが、自然の造形である盆栽には多種多様な“貌“が確かにあると思います。
選考とは人が成すもの、何処かで優劣を決めなければならない事はわかるのですが、それに血道を上げる様となるのは見づらいものです。

昔、栃木県の古老盆栽大家と謳われた、石川義雄先生という方がいらっしゃいました。
いつの国風展だったか思い出せませんが、野梅のとても古い名樹を出品されました。
古渡烏泥の名鉢に普段より納められて、“これが本物の盆栽だ!“と、私も唸ったものです。
国風賞にはなりませんでしたが、売店にお越しになられた時、私の店の前をお通りになった時、
“先生、素晴らしい梅を拝見しました。ありがとうございました“と申し上げると、

“嬉しいね!ありがとう。君のその言葉で5年くらい長生き出来そうな気がするよ“と、仰って行かれました。
多くの盆栽の名木を愛蔵されるだけでなく、そのお人柄、立居振る舞い、流石な紳士と憧れる方でした。

商売を考えれば、国風賞はお客様が喜ぶ有り難いもの。
しかし、賞というものが、まるで盆栽の優劣、愛好家のレベル評価になる事だけにはなってほしくありません。

ひとつの盆栽を見つめる心、盆栽を楽しまれる方、そのものが清廉な紳士淑女と評価される世界、
業者としても及第点とは言えない私が言える事でもないのですが、
こうして50年近く、盆栽界のお陰で生きてきている私が最近想う独り言です。

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それでも、今も国風展売店に飾る樹を鉢合わせをしたり、枝姿を直したり、楽しさと“買ってくるかな“の想い両方の相変わらずの私です💦



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