雨竹 盆栽 水石 便り

盆栽歴49年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”


私が羽生の地にこの雨竹亭を構える時、土地の選定から慣れない現地での始動に親身になって下さった根岸庄一郎先生。
83歳で今春天寿を全うされました。
15歳で栃木で修行を始めた頃からのお付き合い。数えれば46年の刻を共にさせて頂きました。
盆栽を藤樹園、浜野元介翁の薫陶を亨け、片山一雨先生の“飾り”を高弟として究められた根岸先生は、
盆栽水石の探究愛好会『玄虹会』の発足メンバー。
数多くの席飾りを共に修練し、時には先生のご立派な邸宅の座敷を拝借して、
仲間の皆さんと蹇々諤々の歓談を繰り広げもしました。
12日は先生の83歳の誕生日。
玄虹会の皆さんで私の庭の観音堂に集って、
大徳寺塔頭の芳春院ご住職を京都からお招きして、趣味の仲間での供養をする予定です。
応接室に根岸先生の肩身の水石・水盤・掛物・点景・を設えました。
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瀬田川の梨地石・水府散人旧蔵の白交趾楕円水盤
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小早川秋聲筆「名月図」
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脇には根岸先生自作!の五重の塔。
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飾りの中に人生観まで見つめた先生の精神を少しでも次代に伝えてゆきたいと思います。   合掌


コロナ災禍の収束が見えない東京。
私共の銀座店「雨竹庵」も、お客様・スタッフの罹患を防ぐことを考え、4月1日よりの休業が今も続いています。
その中で再開した銀座最大のコンセプトビル「GINZA SIX」で、盆栽の展示のお誘いがあり、
7月1日より、ギャラリー会場で大小数々の盆栽をご覧頂いております。
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外出自粛など、人々の日常の生活がままならない中、“盆栽で何か役に立てる事はないものか?”と、思案していた時のお誘いでした。
『夏を感じ、星を想う』きっと有名なコピーライターの方が考えてくださったのでしょう。
日本人は季節を五感で感じ取り、日々の生活の中で自然に接して生きてきました。
都会は本物の自然に触れる機会が少ない所、何気ない“生きる命”を見過ごしてしまう、まさに“東京砂漠”と言う言葉が昔流行りましたが、
今のウィルス災禍は、人が移ろう季節の素晴らしさを忘れ失うようなものを感じます。
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夏を感じ星を想う・・いいですね! 
そんな情緒って、生きてゆく中でとても大切だと思います。
それが、盆栽で皆さんに提供できたら・・。
名もなき小さな命から、数百年を小さな鉢の中で生き続ける命まで、
無機質な都会の中で、ひとりひとり、感じ方は違っても、盆栽から“何か”を想ってくれれば・・とても嬉しいです!
(9日まで展示・小店の銀座店長、島田君が常駐しています。是非見て下さい)

【手入れに励まれる80歳の日々】

福島県の著名愛好家・舩山様と手入れのご相談で木村先生の庭に伺いました。
ご一緒に海外旅行までされる旧知のお二人。
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笑顔で歓談される姿は、御用掛をさせて頂く私から見ても、とても温かい光景でした。
舩山様が、岩崎大蔵先生から受け継いだ未完の大樹、久しぶりの対面で、
“これがあの樹?”と、手入れ前の姿しかご覧になっていない舩山様は驚きを隠せないご様子でした。
前庭に広がる「木村ワールド」と言える名木群。
普段はここしか公開しませんが、作家と愛好家と言う垣根を超えての間柄のお二人、
木村先生は、“奥の棚へどうぞ”と、非公開とされている棚場を案内して下さいました。
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名のある名樹、未完の逸材、傷みを回復中の樹、“木村マジック”で姿を変えてゆくもの。
この棚場はからどれ程の名木が世に送り出されたのでしょうか。
近日、福島に出向いて頂いて、舩山様が蔵される「真柏の王」と言える大樹。
昨年木村先生による大改作が行われ、その培養進行を確認して頂く事を約してのひと時でした。

【伝承された「命」達・ご当主の想い】

7年ぶりに、信州長野県岡谷市の名園『寉龍庵』小口家へ、伺いました。
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現ご当主は、二代目・小口博正師。
物静かに多くを語らず、時折・緊張する私を和ませてくれるように、ヴィヴィットな冗談を仰って下さる紳士。
ご初代であられた、故小口賢一翁は、昭和後期を代表される大家愛好家。
私もご生前に大変なご交誼を頂き、多くの事を学ばせていただいた、まるで老師・仙人・のような方。
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国の有形文化財に指定された建築「寉龍庵」は、ご先代様から受け継がれた老樹達と共に、博正師と奥様が様々なご苦労を覚悟で守り継がれています。
真柏名樹・「臥龍」「宝船」など、日本盆栽界の伝承名木を、信州の地で、ご正業の傍らで守られること、
ご先代への敬慕、盆栽に秘められた精神と美、お歳を重ねてご先代にますますその面影が似てくる博正師を邸内を共に散策しながらご一緒していると、
いつの間にか、ご先代と過ごした刻の中にいる錯覚すら覚えました。
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「せめて、私の代までは守り伝えたい」
この言葉に、私達盆栽を業とする者は、斯界を現在の姿に導いて下さった恩人達が遺された、
文化遺産と言える盆栽達を、どのようにか?次代に伝えるお手伝いを本当にしているのか?と、自問自答して恥じてしまいます。
“これは、プロのオークションで売ると○○位だから”・・
こんな基準で盆栽を評価することが、正しいのだろうか?自分の日常を振り返ってしまいます。
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日本の古美術・茶道美術・などは、どれ程の人物が愛でたものかが、評価されます。
勿論、盆栽は刻にして姿を変えてゆきます。
表面的な形骸化した価値観も一方では必要ですが、樹は刻を刻み続けています。
その刻んだ歴史に人の歴史が重なり合ったもの、それこそが、ある意味においての『伝承名樹』ではないかと、若き日に古老、賢一翁と対面した記憶が蘇る訪問でした。

【33代1000年!の隠れ仕立て畑!!】

3年ぶりに四国高松・鬼無の五葉松の生産地に伺いました。
某所より“長く培養に励まれていた何人かの方々が、高齢の為、まとめて買ってくれる人を探している”と言うお話を頂き、懐かしい地をまわりました。
山懐の最奥部に位置した「神高本家」、敷地の中には7世紀初め頃の、古墳まである由緒ある家!
数えて33代目にあたるご当主の神高哲夫さんは、いかにも家柄の良い風貌とお人柄。
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宮島五葉松(この土地では、銀八五葉と呼ぶそうです)を苗木から畑で育てて、10〜15年で鉢揚げ、そこから剪定・整姿・を繰り返し!
別に70年以上かけて、太幹の名木となる素材が、古墳前の畑にビッシリ!
「出来れば選び出しではなく、せめてひと畝ずつで考えて欲しい」とのお言葉。
大変な量と手間、・・・自分でも苦笑いの結果、全体で600点を超える約束をして、来月には300点の鉢物引き取り、来春には300点の地植え物の大量移動となりました。
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羽生に帰って、管理班の“顔色”を見ながら(笑)さて、羽生第三培養場3000坪も、だいぶ狭くなってきている中、どうやって置こうか?
・・相変わらずの私でした!
でも、高松は素晴らしいです!
樹と土を友として、日々樹づくりに励まれる鬼無・国分寺・坂出・の盆栽家の皆さん。
自然美しい地が、育んでくれる未来の名木達。
この地が、これからも変わらぬ五葉松の「聖地」でありますように。
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