雨竹 盆栽 水石 便り

盆栽歴49年 盆栽家森前誠二がブログで綴る盆栽人の本音と 伝えたい日常の中の”心と技”


【「盆栽も庭もこのままで維持しろ」久原房之助の精神を受け継ぐ長谷家 】

十数年ぶりに「盆栽ロード」を庭内に持つ港区白金「八芳園」を訪ねました。

オーナー奥様の長谷久美子様に出迎えて頂き、
盆栽を広める私共「雨竹庵」と、の1万坪を有する都心の大庭園、
そして旧所有者であった日立製作所創業者である久原房之助翁の遺徳を半世紀を越えて受け継ぐ方々の"確固たる思い"が、
ある意味共通している事に感動しました。 
「人の手を加え過ぎるな、自然のあるがままを大切に」など、
名庭を散策すれば75年前よりこの地でずっと守り続けられる盆栽達と、
仰ぐほどの"人の心が創り上げた大自然"と言うべき樹々に対する守り人達の精神がしっかり息づいている事に、
盆栽人として深く学ぶべきものを感じました。
日本はこの様な"事業の中にも揺るがぬ信念"が築き上げた歴史がある事を
もっと海外の人達にも伝えるべきと痛感しました。
もしかすると、帝都においてひとところに変わらず生き続ける盆栽の(皇居は別として)最長のものかもしれません。
頭が下がります。 

【そして 羽生本店の看板「金看板」! 】

秋虫の聲が黄昏時に耳に沁みるこの頃です。
先日15年の培養の末、ようやく仕上げた真柏を応接床の間に飾ってみました。
まだ枝さばきに"若さ"は残りますが、双幹体の樹相は荘厳の中に
「死して次なる命を支える舎利幹、生と死の相生の姿」
を現出する"超越する自然界"を見事に表現してくれました。
市場の流通に追われる日々の中、歳月をかけて仕上げた作品への感慨はひとしおです。

合わせて十六夜の16日大安、雨竹亭本店の大門看板が掛け替わりました。 

10年前、この雨竹亭が完成した時、
私淑する大徳寺芳春院ご住職である秋吉則州師の揮毫で掛けられた看板も
雨風で筆跡が霞んできていました。
"板を彫り直して貰おうか"と悩んでいた中、
先日、愛好家としてご贔屓を頂く板金師三代の名門、当代湯浅一徳様が
松の木に銅板を貼り、叩き出しと金泥漆を施した「雨竹亭」の立派な看板をお持ち下さいました。
誰に聞くでもなく、ご自分で当亭の看板を写し取り、ご恵贈下さったのです。 

百年もつ見事なこの看板は、単に板金師の匠作と言うだけではなく、
お客様の真心がこもった ものです。
私にとってお客様との有難いお付き合いが運んでくれた本物の「金看板」です。 


【ススキひとつの飾り方で広がる世界 】

9月9日「重陽の節句」菊の節句と謳われる秋の訪れも過ぎ、
ススキの席飾りが心に沁みる季節になりました。
屋久島糸ススキは小振りで小さなスペースでも飾りやすく、お薦めの種類です。 
名残の蜻蛉が一匹飛ぶ下に小菊を楚々と咲かせるススキの風情は
まさに"秋"の景色を切り取ったかのようです。 

添え飾りに鈴虫(谷村隆文作・竹製)を置くことで景趣は更に情感的になりますが、
掛物に動物などを配した時"かぶり"と言われる重複の飾りにならない事は重要です。

掛物を使わないススキと鈴虫の席も山野草飾りとしてはとても気高いものです。 

蜻蛉から富岡鉄斎の「月下牧牛図」に変えることで、席中の情趣はまったく別世界になります。 

禅の教えのひとつと言われる「十牛図」の題材と思われる鉄斎の筆は、
画中に潜む精神をススキと言う野にある自然の風景をそこに取り込むことで、
"物の哀れ"を感得できる静謐で孤高な精神世界を現出してくれます。 

蜻蛉を配した「景色の具現」・牧牛図を用いた「精神世界への誘い」。
ひとつのススキから広がる様々な世界観を楽しむのも、季節飾りの醍醐味と言えます。 
留意点としては、ススキを単体で飾るなら丸地板で問題ありませんが、
合わせ飾りとして鈴虫を共に飾る時は、主たるススキの敷物を天然地板、鈴虫に丸地板、など、
格の差や変化を忘れないで欲しいものです。
これも"重複を避ける"作法のひとつです。 


【長老達が守り抜いた珠玉の道具類 】

8月28日、上野グリーンクラブで開催された「日本水石協会 夏季大オークション」が、
1億越えとなった事は既にお伝えしました。
この時 私共羽生雨竹亭で落札した各種道具類は100点以上! 
2000万円近い購入となりました。
愛好家所蔵の古石はもちろんの事、普段目にする事のなくなった水盤・卓など、
"ここから次の世代に任せるよ" 
と言われているような名品の数々を斯界発展のために放出して下さった古老の皆様の"声なき声"を思えば、
大切に愛好家の皆様にお世話させて頂こうと思っています。
若き頃、100~200万円で扱ったものが数十万円で手に入る事が良きも悪きも悩ましいところですが、
それぞれが水石界においてどれ程大切な"実用の美"であるかを正統にお伝えしたいと思います。
ひとつひとつに込められた歴代の所蔵者の"想い"を心に刻んで取り扱いたいものです。 

 
私を信頼下さる愛好家の方から新木の頃より15年近くお預かりしている真柏達が、
ようやく完成の段階に仕上がりました。
ご本人はもうご高齢でご自宅に持ち帰り飾る事も叶わず、
この子達も私の所でこれからも誰にも見られる事なく、国風賞クラスと言われながらも静かに日々を過ごしています。
昨年増設した羽生第三培養場も相変わらずの盆栽の数ですが、
写真のような名樹もあれば、名もなき素材樹もたくさんあります。 

最近この仕事も40年を過ぎた頃からは、
そのすべての樹々達に対して"同じ想い"を強く持つようになりました。
「私はこの子達を守る、この子達と共に生きる」
そんな気持ちが何よりも大切だと、口には表せない位の自分がいる事に気付きます。 
盆栽が私に教えてくれる事はキリがありません。
60になっても70になってもきっとそうだと思います。
「いのち」って何だろう?
と自問する自分に苦笑してしまいます。 

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